「共感」とのし烈な戦い
「自分の感情に他人に共感してもらいたくない」と口にする芸能人は多くない。SNS時代においてもはや「共感」は資源であり、そして兵器だからだ。
あらゆる広告代理店が「いかに大きな共感を集めるか、そして反感を避けるか」を日夜研究している。束ねれば巨大な金を生み、政治を動かし、そして人を殺す現代の怪物が「共感」である。
ツイッターで400万、インスタグラムで300万という巨大なフォロワーを持つ広瀬すずは、その力の中心にいながら、あるいはだからこそ、巨大な共感の暴力性から距離を取ろうとするのかもしれない。
『悪人』『怒り』『流浪の月』という、12年をまたぐ三部作のようにも見える李相日作品に共通するのは、この社会の「共感」との熾烈な戦いである。三作の登場人物たちはみな、社会の共感から疎外されながら孤独な生を生きていく。広瀬すずと李相日監督は正反対の存在に見えながら、その怪物からの距離感を共有しているように見える。
李相日作品は本来、大衆に共感されなければヒットしない商業映画というメディアとは根本的な矛盾を抱えている。だが広瀬すずのように、スターでありながら大衆の共感に違和を抱える存在と出会う時、俳優が映画を救い、映画が俳優を救い出すような化学反応を起こすのだ。
深津絵里や満島ひかり、広瀬すずなど、李相日作品をきっかけにさらなる飛躍を遂げた俳優は数多い。『流浪の月』では既に圧倒的な評価を受けてきた松坂桃李に加えて、横浜流星が映画ファンを驚かせた。
彼らが演じた役は決してファンが共感するようなものではないにも関わらず、例えばイケメン若手俳優として見られてきた横浜流星に対する日本映画ファンの評価を完全に塗り替えたと言えるだろう。李相日作品が持つ孤独は、俳優を大衆の共感から切り離すことと引き換えに、個人としての孤独な力を引き出す奇妙な魔力を持っている。