文春オンライン

伝説のベストセラー作家・五島勉の告白「私がノストラダムスを書いた理由」

作家・五島勉インタビュー #1

2018/01/01
note

旧制高校のフランス語の先生がノストラダムスを教えてくれた

―― ノストラダムスの名前を初めて知ったのはいつ頃ですか?

五島 旧制高校のときですね。たしかフランス語の先生だったけど、いろんな話をしている間にちらっと一言だけ、16世紀のフランスにノストラダムスというすごい人がいて、王様がいつ死ぬとか全部予言したんだよ、ってことを話してくれたんです。その先生は、東京外語のフランス語科を一番で出た学識の深い人でした。あくまで別の話のついでに個人的に喋ってくれたというだけでしたけど。

 

―― 『大予言』を書くずっと前に出会ってるんですね。それから興味をもって調べ始めたわけですか?

ADVERTISEMENT

五島 いや、その時はまだ高校生で、あまり興味もなかった。ノストラダムスと再会するのは、ずっと後です。旧制高校を出てからは、大学へ行きましてね。東北大学の法学部なんですけど、何も勉強しなかったから、どこへも就職できなかった。でも、たまたまアルバイトで書いた小説を買ってくれる東京の出版社があってね。エロ小説みたいなものでしたが、数ヵ月に1回採用されて原稿料をもらえました。それで大学を出ても就職ゼロが決まった時、その出版社に電話をかけて、「私はこれから一文無しでそっちへ行きますが、食べさせてくれますか?」って正直に言ったら、「それじゃあ、いらっしゃい」と言ってくれました。

―― 今だと考えられない話です。五島さんに何か光るものを感じたんでしょうね。

五島 いや、たまたま親切というか、太っ腹の編集者に出会えたんだと思います。それでありがたく上京して、小さな物置みたいなところを借りて、ものを書いてました。そしたら、幸いにして週刊誌ブームも始まったんです。

 ちょうどその頃ですよ。古本屋かどこかにあった誰かのエッセイの中に、ノストラダムスの4行詩の訳文が1、2篇紹介されているのを見つけたんです。「あっ、これはどこかで聞いた名前だ」と、ビビッときた。それから、週刊誌の仕事をしながら、少しずつ調べるようになりました。

 

最後は丹波哲郎の演説で終わる映画版『大予言』

―― なるほど。そういった蓄積があって、『大予言』が誕生したんですね。発売の翌年には100万部を突破し、映画にまでなりました。映画版をご覧になっていかがでしたか?

五島 良い映画、悪い映画ということを越えて“変わってる”と思いました。

―― 変わってる映画ですか?

五島 本が売れた段階で、東宝がぜひ映画にしたいと言ってきたんです。だけど、彼らの根底にはゴジラ体験があり、優秀な人たちだったけど話が合わなかった。彼らはゴジラ的な恐怖娯楽を入れたい。私はもっとリアルな国際政治を入れたいと思ったけど無理でした。しかも主演が丹波哲郎さん。「俺のライフワークにする」とか言って熱演して、最後は丹波哲郎の演説で終わりました。結局、ノストラダムスの映画なのか丹波哲郎の映画なのか、分からなくなりましたね。

―― それはそれで興味深い(笑)。しかも文部省の推薦映画で。今では「封印作品」となって、見られないのが残念です。映画以外にも、『大予言』出版以降、数々の類似本が出ていますが、そちらはどうでしたか?

五島 それと関連しますが、最近、講談社の編集者から連絡があって知ったんですが、水木しげるさんがとても面白い漫画を描いてるんですね。

 

―― ああ、『水木しげるのノストラダムス大予言』ですか。

五島 水木さんの全集の解説を書いたんですが、私の思想とか考えについて肯定的にとらえてくれたのは水木さんだけです。すごいアイデアをそこからもらいました。

―― 漫画が一番よかったというのは、面白いですね。

五島 一番いい。どこがいいかはその漫画のあとがきに書かせてもらいました。やっぱり水木さんってすごい才能のある人だなと思いました。