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ノストラダムス五島勉の遺言「終末を思え、道は開かれる」

作家・五島勉インタビュー #2

2018/01/01
note

8月15日、すぐにジャガイモを買い付けに来た商人に学んだこと

―― 終戦の時はどちらにいらっしゃったんですか? 

五島 北海道の十勝の新得の近くで農作業をやってました。アメリカ軍が入ってくれば中学生も戦わなきゃいけないというので、日曜日には戦闘訓練です。古臭い木箱を背負わされて、その中に大砲の弾を1発ずつ入れられるんです。20キロくらいあってすごい重い。

「ノストラダムスの生地を訪ねて行ったら、怪訝な顔をされましてね。あの辺ではファーブルの方が有名だから」

―― それは、要するに特攻のようなことですか?

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五島 何かのときにはこれで戦車にぶつかれと。でも、できるわけないですよね。すごい重たいし、ヨタヨタ歩きですから。それをやらされたときに、日本の権力や軍隊というのは、なんてひどいことを強制するんだろうと思いましたよ。

―― 終戦の放送はどんな気持ちで聞かれたんですか? 

五島 聞きませんでした。新得というのは十勝の山の中ですから。道で出会った同級生から「日本は負けた」と知らされました。すぐそこにみんなで座り込んじゃって、どうしたらいいかというようなことを相談しました。ただ、いろんな日本人がいるものだと思ったのは、すぐにジャガイモを買い付けに来た商人がいたんですよ。

―― 8月15日の当日にですか?

五島 当日です。他に食料がないわけですから、もちろん儲かりますよね。だから、日本全体がどうすべきとか、みんな一緒になって行動しようとか、よく言うじゃないですか。だけど、やはり一人一人が終末的な状況と向き合って、各自それぞれのやり方で、そこから脱出することを考えておいたほうがいいな、と。

―― それは、終戦の日の光景を見て思われたんですか?

五島 そのとき思いましたし、今も思います。

「ノストラダムスの予言書は何冊も持っています。全部ボロボロになるまで読んでしまいましたけど」