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父・安倍晋太郎氏が入院中に出会った

 北村氏は出会いについても触れている。1989年4月26日、北村氏が署長をつとめていた警視庁本富士署管内の病院に安倍氏の父・晋太郎氏が入院中のことだった。

〈「いろいろとお世話になります」。政界のサラブレッドであるにも関わらず深々と頭を下げた礼儀正しさが深く印象に残っている。 そして、テレビ等でその後、安倍総理を見る度に、また、今でも思い出す言葉が、正にその時浮かんだ。「この人は、政治家として自分とは全く異なる人生を歩むのだろう」(中略)

 駆け出しの若き警察署長は、この日が人生にとってどれほどの意義を持つこととなるかを、未だ知らず、一仕事終えたという安堵を胸に、総理車両の明滅する青いテールランプを眺めていた〉

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安倍晋三氏 ©時事通信社

 事件後の7月11、12日に執り行われた通夜・告別式。北村氏は次のような弔電を送ったという。

〈突然の悲報に接し、感情を言葉にできないほど心が傷んでいます。例えようもない喪失感を埋めるすべが見出しえません。『安倍総理、安らかに』とすら言葉に出せない、乱れに乱れた自分の気持ちを吐露して、お別れの言葉といたします。申し訳ありません〉

「文藝春秋」9月号の手記で、北村氏はこれまで明かさなかった安倍氏の秘話を公開する。第1次政権「最後の日」に車中で交わした会話、2012年12月に政権を奪還した日の打ち合わせ、特定秘密保護法や平和安全法制などの制定に至る過程なども詳細に綴っている。