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「ここまできたら、実績は関係ない」

 新カンプノウの国際設計コンペが行われるという知らせが彼らの元に届いたのは、2015年の春のことだ。

 手を挙げたのは全世界で26社にも及んだ。日建設計はいわばアウトサイダーだった。新潟ビッグスワン・スタジアムやカシマサッカースタジアムなど、サッカースタジアムに関する実績はあった。しかしそれも日本国内のことで、世界的にはサッカースタジアムの分野で知られていたわけではなかった。

 コンペに手を挙げることが決まってからはチーム全員で提案書を練りあげ、同年9月の一次選定の結果、日建設計は8社に残った。勝矢はチームの士気が高まっていくのを感じた。

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「ここまできたら、実績は関係ない。あとはコンセプトとデザインさえよければいける。全力でやろうと」

 バルサ側が出した条件には、地元カタルーニャの建築事務所と組むこと、というものもあった。地元色を出したいという、クラブの意向だ。日建設計はバルセロナのパスカル・アウジオ・アルキテクテスと組み、改修案を12月9日に提出。

 東京のオフィスで遠いカンプノウを思い描きながら練った資料は約200枚、パネルは40枚に及んだ。

「距離的なマイナスを感じさせたくなかった」と、何かしらのミーティングが開かれるたびに、10人近いメンバーで東京からバルセロナへと飛んだ。

 

プレゼンに提出したスケッチ

 同社のバルセロナ支店長、内山美之はプレゼンの数々を思い出す。

「バルサ側も凝っていましたね。プレゼンの場所が、少しずつカンプノウに近づいていくんです。最初は郊外の練習場、それからカンプノウの隣のアウディトリオ、そしていよいよ最後はカンプノウの中、というように。近づくにつれて、こちらの気持ちも高まっていきました」

バルサ側が指摘したネガティブポイント

 2016年の年明け早々に、バルサから連絡があった。

 メールには、提出した案に対する50にも及ぶチェックポイントが綴られていた。細かなネガティブ面を指摘してくるものもあった。

 自信を持って提出した案に対して返された疑問や否定的な意見だったが、メンバーの士気は落ちなかった。これほどのネガティブポイントを指摘するのにもエネルギーがいる。興味がなければそんなことはしないだろう。そんな手応えもあった。

 最終プレゼンの時、ロビーで有名設計事務所の面々とすれ違った。ライバルは満足そうに手に模型を持っている。力を出し切ったという思いはあったが、同時に不安もあった。

 伊庭野は振り返る。

「僕らは挑戦者でした。本当に日本人を、日本の設計事務所を選んでくれるのか。そんな思いもどこかにありました」

 3月8日の夜のことを、彼らは忘れることはないだろう。

 バルセロナのサリア地区にあるレストランでスタッフ全員で食事をし、ワインを飲んでいたところ、共同設計者であるジョアン・パスカルに電話がかかってきた。相手はバルサの担当者だ。

 パスカルは何かを告げられると、突然シャツを脱ぎ、振り回しながらレストランを飛び回った。歓声と拍手が入り混じる。

 それは歓喜の瞬間であり、プロジェクトの始まりだった。

左から内山氏、伊庭野氏、勝矢氏 ©豊福晋

 受注が決まってからは現地で採用も行い、少しずつスタッフを増やしていった。

 行政の事前承認など諸手続きにも時間はかかる。様々な点で当初の計画に変更も出た。業者選定後、工事開始は2019年5月を予定している。試合を行いながらの改修であるため、シーズン中に大規模な工事はできない。現状では2022年8月に完成する予定となっている。