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「さまざまなパワーの相互作用」の時代へ

 ところが、インターネットの普及や、国から国への移動が容易になったことなどさまざまな要因で、この構図が変わってきている。さまざまな情報が手に入るようになったから、たとえば終身雇用の会社に勤めている人でも「会社の中のことしか知らない」というようなことはない。外の世界をかんたんに知ることができれば、支配はしにくくなる。「権力の終焉」はこう書いている。

「現代はかつてないほど広い範囲で、かつてなく安い費用で、移動したり、学んだり、他人とつながったり、通信したりできる資源と能力が得やすくなった。そんな状況が人々の認識や感情に与えているインパクトが、豊かさ革命と移動革命の相乗効果によって大幅に増大している。この事実が、世代間の意識、そして世界観の隔たりを否応なく際立たせているのである」

 国家のパワーが相対的に下がって、さまざまな小さなパワーが相対的に増大し、そこでは国家権力というただひとつのパワーではなく、さまざまなパワーの相互作用というようなものへと変わっていくことになる。

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大きな政府や大企業は役割を終えた

 もちろん政府や自治体が統治機構としての意味をなくすわけではない。法律や警察権を背景にしたパワーは今後も続く。でも統治機構のパワーは、人々や組織などさまざまなパワーの間の相互作用としてしか生成されなくなる。小さなパワーが相互につながり、さまざまなパワーゲームを行うことによって生まれてくるネットワーク的なものが、新しい統治の形態になる。

 そもそも「大きな政府」や大企業というのは、20世紀初頭の二つの世界大戦のためにつくられたものだ。国民全員が参加する総力戦を戦うためには、パワーを国家に集中させることが必要なのだ。そして同時に、総力戦のためにはすべての産業が効率良く、戦争のために生産しなければならない。だから中小企業をどんどん合併させて、大企業に集中させた。

©iStock

 この大きな政府や大企業という仕組みが、戦争が終わってからも高度経済成長を成し遂げるために有利に働いたというのは、経済学者の野口悠紀雄さんが「1940年体制 ―さらば戦時経済」という名著で書いている。でも高度成長はとっくに終わり、総力戦が起きないかぎりはもはや強大なパワーの集中は必要なくなった。そして実際、「権力の終焉」に書かれているようにパワーは分散する方向に進んでいるし、米NICが指摘しているように、未来はますますパワーが分散する世界になる。

 こういう時代認識が、もっと多くの人に共有されてほしいと私は思う。もはや「強大なパワーが存在し、それに勇気を持って立ち向かう」という構図では、社会を的確に認識することはできなくなっているのだ。2018年は、この認識の共有とその議論をもっと進めて行きたい。