20代半ばのころには、とあるバーで数人で飲んでいたところ、勘三郎がいきなり獅童を指して「あの子は偉くなるよ」と、一緒にいた先輩俳優たちに言い放ったことがあったという。それを聞いて先輩たちは笑ったが、勘三郎はすかさず「いま笑った人、全員追い抜かれるからね」と言ってくれ、獅童を感激させる(「産経ニュース」2021年3月29日配信)。
「君は出来が悪いから…」勘三郎の叱咤激励
ただ、勘三郎ほど芸事に厳しい人もいなかった。2001年の浅草での平成中村座公演『義経千本桜』では稽古のときから叱られどおしだった。試演会では無我夢中で演じた獅童を見て、「きょうのは俺は負けた。型とかじゃなく気持ちでっていう、俺はあんなふうにできないよ、悔しいけど」と褒めてくれたものの、「でも、この気持ちで25日間できて初めてプロなんだよ」とも言われた(『演劇界』2020年12月号)。果たして本公演に入ると、稽古のときに逆戻りして、うまくいかない。公演中はいつも終演後にみんなを飲みに誘ってくれる勘三郎だが、このときは獅童だけ「君は出来が悪いから誘いません!」と告げられ、さすがに落ち込んだという(「産経ニュース」2021年3月28日配信)。
それでも勘三郎からはその後も叱咤激励を受けながら、多くのことを学んだ。それだけに、先輩俳優のなかでも勘三郎、また10世坂東三津五郎からは《演じ方だけでなく役の魂、歌舞伎役者としての生き方や居方(いかた)といった“歌舞伎熱”に一番影響を受けましたね》という(『サンデー毎日』2020年9月27日号)。
初音ミクを舞台に引っ張り出して話題に
その勘三郎も三津五郎も、獅童がやはり影響を受けた12世市川團十郎も、2013年の歌舞伎座の建て替えと前後してあいついで亡くなった。歌舞伎界の危機ともいうべき事態に直面し、当時30~40代の俳優たちはおそらく強い意識をもって、それを何としてでも乗り越えようとしたことだろう。そのなかでも獅童は、観客層の拡大のため、伝統を継承しながらも、新しい試みにも積極的に挑んできた。
たとえば、歌舞伎と最先端テクノロジーを融合させ、ヴァーチャルシンガー・初音ミクを舞台に引っ張り出した『超歌舞伎』は、2016年の「ニコニコ超会議」での初演以来、話題を呼び、今年も各地で上演された。また、2019年には劇作家・演出家の赤堀雅秋と組み、倉庫やライブハウスを舞台にしたオフシアター歌舞伎『女殺油地獄』に挑戦している。