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1月4日に思い出す、元南海ホークス・久保寺雄二のこと

文春野球コラム ウィンターリーグ2017

2018/01/04

プロ野球オールスター大運動会で活躍した久保寺

 いつの間にか南海ホークスと久保寺雄二が好きになった。その年の12月には横浜スタジアムで行われていたプロ野球オールスター大運動会を観に行き、そこで初めて久保寺の姿を目にする。一番のお目当ては毎年運動会になると俊足を武器に他を圧倒する大洋の遠藤一彦や屋鋪要なのだが、ポジション別80m走か何かで久保寺が優勝したのだ。「あんなに脚が速いなら、次のリーグ戦は1番久保寺でもいいな」。少し前まで何の興味もなかったのに、すっかり翌年も南海を担当する気満々である。運動会は85年元日のゴールデンタイムにテレビ東京で放送され、普段画面で見ることの少ない久保寺の勇姿を録画したビデオで何度も繰り返し見た。

 そのわずか4日後の朝、何の気なしに新聞のスポーツ欄を開くと思いもよらない文字が飛び込んできた。

【南海・久保寺雄二選手が急死】

 意味がわからなかった。記事によると久保寺は静岡・函南の実家に帰省しており、就寝中に急性心不全で突然亡くなったらしい。「だってこないだ運動会で活躍したばっかじゃん……」。俊足でカッコよく、カードゲームで打ちまくってくれた26歳の現役プロ野球選手が突然この世から姿を消す。このことが幼い小学生の頭ではうまく理解できなかった。

 でも、これは現実だ。翌月発売された週刊ベースボールの選手名鑑号に久保寺雄二の名前はなく、他の選手の意気込みには「今年は久保寺の弔い合戦の年」なんて書いてある。その頃少し背伸びして読み始めた漫画『あぶさん』にも久保寺を追悼する回が掲載された。そして春に発売された『タカラプロ野球ゲーム』の85年南海版には、やはり背番号7は封入されていなかった。久保寺のいない南海ホークスのカードで、筆者は85年のシーズンを戦った。

 ほんの数か月前まで活躍してくれた背番号7をスタメンに並べられないことで、日に日に喪失感が大きくなっていく。それは今にして思えば、まだ身内や身近な人が亡くなる経験をしていない10歳の子供にとって初めて人の死を実感する出来事だった。その3年後、南海がダイエーに球団を譲渡することになった時も、まず頭に浮かんだのは久保寺のことだった。

 裏山から眺める富士山の麓。そこは久保寺選手が静かに眠っている静岡県三島市の方角である。1月4日、南海ホークスの背番号7、久保寺雄二に思いを馳せる日々はこれからも毎年続く。

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