映画『この国の空』(2015年)では、敗戦間際の東京で空襲におびえながら暮らすヒロインを演じたが、二階堂は台本を読むうち、当時の人々にもいまの自分たちと変わらない日常があったはずだと考え、その「何気ない日常」を奪うからこそ戦争は悲惨なのだと伝えたいと思った。そこで監督の荒井晴彦に提案し、採用されたのが、劇中で茨木のり子の詩「わたしが一番きれいだったとき」の一節を読み上げるというアイデアだった。
沖縄で育った彼女は、小学6年生のとき、元ひめゆり学徒隊の女性から沖縄戦の話を聞いたことがあったが、それは小学生の少女にとってはあまりに生々しすぎ、受けとめきれなかった。それが中学時代に茨木のこの詩と出会い、初めてあの時代を生きた人の気持ちに触れ、戦争を自分事として受けとめることができたという(『AERA』2015年8月10日号)。
同作の公開時のインタビューでは、《私は「戦争が悪い」と一言で片付けるのが嫌いなんです。もちろん、戦争はあってはいけない。でも、なぜ戦争が起こってしまったのか、その時代を生きていた人々がどういう目で戦争を見つめていたのかを考えずに、「悪い」で済ませてはいけないはずです。小さなおにぎりしか配給されなかったのに、なぜ戦い続けたのか、耳を傾けたいんです。おそらく、戦うしかなかったんだ、と思います》と、当事者の視線に立つ必要性も説いていた(『文學界』2015年9月号)。
大物作家からかけられた、期待の言葉
『この国の空』の撮影中、プロデューサーの森重晃に「二階堂は何をやりたいんだ」と訊かれたことがあった。そこで彼女は、高校時代に読んで以来ずっと映像化したいと思っていた室生犀星の幻想小説『蜜のあわれ』を挙げた。その後、森重から、石井岳龍監督が撮りたいと言っていると連絡があり、思いがけず自らの主演により願いがかなえられる。
ここまで紹介したエピソードからもうかがえるように、彼女はかなりの読書家である。それを見込まれ、かつて小説誌で小説形式の書評を連載したほか、作家を相手にたびたび対談の機会も設けられてきた。島田雅彦との対談(『文學界』2016年5月号)では、女優はある程度メジャーになると、その言動にも注目が集まるという話から、二階堂にも《アクティビストになる道を進んでほしいなと僕は思います。じっさい、歴史に名を遺すような女優は、何らかのアクティビストですからね》と期待をかけられた。
これに対し彼女は、昔から好きだったブリジット・バルドーやジェーン・バーキンを引き合いに出し、《考えてみたらこの二人も、前者は動物愛護運動家、後者は歌で人権侵害に抗議したりするアクティビストですものね。(中略)私も爪を研ぎ続けていきたいと思います》と返していた。