「自分の思いが伝わらなかったり、思い通りにいかないと殴る」
日本人の父親と中国人の母親との間に中国で生まれた一人っ子の花森被告は、2歳の頃に家族で日本に来たが、幼少の頃から「自分の思いが伝わらなかったり、思い通りにいかないと殴る」(検察側冒頭陳述)ことがあった。その一方で「生き物が好きで、関心のあることについては何時間も本を読んだり」(同)していた。
東日本大震災後に母親の意向で、再び中国に戻ったが、進学のために日本へ。中学生の頃は忘れ物が多く、これが改善することはないまま高校に進学したものの、適応できなかったことから、中国に戻り、カウンセリングや漢方による治療を受けたのち、再び日本の高校に通い、琉球大学に進学した。
花森被告の父親は彼が高校生の頃、既に病死しており、映画研究会に入った翌年、母親も乳がんで亡くなった。その後、琉球大学を退学し、実家に戻り、静岡の大学に編入学する。事件を起こしたのはその翌年のことだ。
母親が亡くなった年のある夏の夜、被告は実家の前で“スマホを操作する若い男”を見かけたという。その後、片付けができていない家の状態について叔父から、このような状態だと「不審者が入ってくる」と言われた。これをきっかけに、花森被告は被害者らのことを思い出したのだそうだ。そして「不審者を被害者らと結びつけ、被害者らが自分を殺しに来るかもしれないと不安に思うようになり、真意を確認しようと思った」(弁護側冒頭陳述)のだという。
被告はBさんにLINEで「泊めてほしい」と連絡するが、Bさんは卒論の真っ最中だったことや、被告からの連絡が真夜中だったこと、被告のLINEに「先輩と後輩の秩序を乱さないでほしい」などとも書かれていたことなどから「他を当たってください」と返信し、被告のLINEをブロックした。
「襲撃に備えるため」に硫酸を作り始めた
花森被告はその後、「襲撃に備えるため」(同)に硫酸を作り始めた。2021年4月には、琉球大学の映画研究会部室内でAさんからBさんの所在を聞き出そうとしたが、取り合ってもらえなかったため、暴行事件を起こした。
さらにBさんの就職先を突き止め、東京に出向き、Bさんに「自宅に来たか」と問いただすが、否定された上に取り合ってもらえなかったため、「不安は一層強まり、Bさんへの恐怖が強くなり、8月に、濃縮した硫酸で傷害事件を起こした」(同)という。“彼らが自分を殺しに来るかも”という、花森被告の信じがたい思い込みにより、AさんとBさんは攻撃された。
琉球大学在学中、被害者を含む映画研究会の同期からは「変わった人」と思われていたため、花森被告は“いじられキャラ”だったようだ。AさんとBさんは調書に次のように語っている。
「被害を受けて心当たりを考えたが、当時を思い出しても、いじりを嫌がっていたとは思っていなかった。でも自分たちが思っていた以上に嫌だったのかもしれない」
「被告をいじったことはあったが、だからといって大火傷を負わないといけないとは思わない」