全容が解明された「獣害事件最大の惨劇」
調査は4年に及んだ。そして、昭和39年にその全容を解明し、「獣害事件最大の惨劇・苫前羆事件」(編集部注:苫前羆事件は現在「三毛別羆事件」として一般に呼称されている)と題して旭川営林局誌「寒帯林」に発表したのである。
この木村氏のイマジネーションと執念が、たちまち大きな評価を得ることとなった。つまり、本編の原作である戸川幸夫氏の「熊風」も、その後著された吉村昭氏の「熊嵐」も、木村氏の調査を元にして書かれた作品である。いや、木村氏の調査がなければ生まれなかった作品とも言えるだろう。
「羆風」を描くことになったボクも、当然のごとく入手したのは、苫前郷土資料館が発行した木村氏の「苫前羆事件」の冊子であり、事件発生80周年に当たって、前著の内容をさらに充実させた「慟哭の谷」(共同文化社)だった。一読して息を飲んだ。草の根を分けるようにして聞き取ったリアリティと、人々の叫び、熊の息づかいが聞こえて驚愕した。まさに、事件は小説よりも奇なり、だった。
結果、一面識もない木村氏に電話するのに毫ほどのためらいもなかった。木村氏は快く応じてくれた。だから、それから何十回、時間にして何十時間教えを乞うたことだろう。もちろん戸川氏の原作はあった。が、ボクのペンはいつしか木村氏の調査資料に力点を置くようになっていた。ボクの作品に、戸川氏の原作になかったくだりがあるとすれば、それは木村氏のご協力の賜である。
ところで、本編を執筆中のボクと木村さんとのやりとりは全てが電話だった。つまり、声だけのやりとりに終始して、一度も会う機会がないまま過ぎた。その声の主にやっとお目通りが叶ったのは、実は本年(平成15年)7月のことである。札幌でボクのサイン会があったのだが、その会場に木村さんがわざわざ駆けつけてくれたのだ。全くの初対面ではあったが、木村さんとボクとの間にもはや言葉は不要だった。