老人がコップを手に持つと、部屋にいた3人は優しく囁いた。
「ボン・ボワヤージュ(良い旅を)」
男はその声に反応した。
「メルシー・ア・トゥス(ありがとう、みんな)。この最期を実現してくれて……」
これは世界で初めて明かされた、映画界の巨匠ジャン=リュック・ゴダール最後の言葉である。
映画『勝手にしやがれ』(1959年)や『気狂いピエロ』(1965年)など、ヌーベル・バーグの旗手は、2022年9月13日、スイス西部ボー州ロールにある家で安楽死を遂げ、91年の生涯に幕を閉じた。
フランスの日刊紙『リベラシオン』を始め、各国の新聞やウェブメディアが、安楽死の理由について、「病ではなく、人生に疲れていた」と報じたことで、世界中に衝撃が走ったのは記憶に新しい。
しかし、彼がなぜ死期を早めたのか、どのようにして息を引き取ったのか、そして最期に残した言葉は何か……こうした事実は巨匠の出身地であるフランス、住んでいたスイスのメディアも含め、これまで報じられてこなかった。
この世界的なスクープが11月10日発売の雑誌「文藝春秋」に掲載される。
世界に先がけて、秘められた事実をつかんだのは在欧ジャーナリストの宮下洋一氏である。名作ノンフィクション『安楽死を遂げるまで』『安楽死を遂げた日本人』の著者である宮下氏は、これまでも国内外の安楽死に関する取材を積み重ねてきた。
そうした豊富な取材経験をもとに、この取材でも、いち早くゴダールの安楽死をセットした団体にコンタクト。それがこの世界的なスクープにつながったのだ。
冒頭で書いたように、ゴダールが息を引き取る場にいたのは3人。
一人は、1970年代から映画を共同製作するなど、公私ともにゴダールのパートナーだった元女優・脚本家のアンヌ=マリー・ミエビル夫人(76歳)。
彼女はゴダールの死後、一切の沈黙を守っているが、宮下氏は残り2人から詳細な証言を得ることに成功した。