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「山口組幹部」はヘリコプターを使って送り迎え…今なら許されない「ヤクザのゴルフ事情」

『バブルの王様』 #2

2022/12/04
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 そしてこの山一抗争で一和会を壊滅に追い込んだ若頭の渡辺が、次の山口組5代目組長の座を約束される。事実、渡辺は抗争終結の翌4月、5代目組長に昇りつめた。瀧澤の絵画プレゼントは、この間の出来事である。

山口組幹部たちの「プレゼント攻勢」

 上司や得意先に対する付け届けやプレゼント攻勢は世の常といえる。そこに一般社会と暴力団の世界との違いなどない。渡辺は夫人にブティックを経営させてきたが、山口組幹部の夫人たちはその店に通い、高級ブランド品を競って買った。

 渡辺自身もまた、絵画が好きだったのであろう。少なくとも瀧澤はそう考え、青い目の描かれた加山又造のシャム猫の原画を贈ろうとしたという。数億円する高価な絵画で、なかなか手に入らない貴重な人気作品だ。

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 瀧澤は絵画選びを兼ね、渡辺を東京に招待して接待を繰り返した。その接待場所が、アイチの開発した千葉県君津市の上総GCだった。84年11月のオープンセレモニーにジャック・ニクラウスが来日し、話題を呼んだゴルフ場である。

 森下自身、ゴルフに目がなく、バブル紳士たちと賭けゴルフを楽しんできた。山口組の渡辺ともいっしょにラウンドしたのか、尋ねてみた。が、さすがにそれは控えていたようだ。森下は言った。

「瀧澤さんとはたしかに親しかったけど、さすがに世間がうるさいからね、そんなことはできませんよ。うちのヘリは使ってもらっていたけどね」

 これまで書いてきたように、80年代半ばは森下に対するマスコミの関心が集まった時期にあたる。音響機器のアイデン倒産をはじめ、中江滋樹の投資ジャーナル詐欺やコスモポリタンによる株買い占めなど、森下の周囲では立て続けに事件が起きた。

 今でこそ、反社会勢力と認定されればゴルフ場に立ち入れないが、当時は暴力団組長が子分たちを引き連れ、平気でラウンドした。といっても、さすがに山口組組長といっしょにゴルフをしているところをマスコミに報じられたら、大騒ぎになる。

 おまけに血なまぐさい山一抗争の真っただ中である。前述したように、4代目組長の竹中が愛人のマンションロビーで暗殺されたのが、上総GCオープン3カ月後の85年1月だ。日本の暴力団史上最大といわれた抗争は、そこから89年3月までおよそ4年にわたって続いた。渡辺の5代目組長就任は、山口組が圧倒した抗争終盤に確実視されていたから、アイチの上総GC行きはそのあたりの出来事だろう。

 ちなみに87年8月には、田園調布の森下邸に銃弾が3発撃ち込まれた。原因はアイチが融資していた東村山市の特別養護老人ホーム「松寿園」とのトラブルだとされる。したがって山一抗争とは無関係だろうが、ただでさえ暴力団との関係が取り沙汰されてきたアイチにとって、山口組との接点が明るみに出てはいかにもまずい。森下自身が上総GCで彼らに付き合わなかったのは、そうした事情があったに違いない。森下に代わり、アイチの社員たちが彼らの世話を命じられた。