「地上げの帝王」「マムシ」など数々の異名を持つ街金融アイチ会長、森下安道――貸付総額は1兆円超、ゴルフ会員権ビジネスの考案、トランプタワーの買収など、バブル時代の経営者として栄華を極めた彼が語った「あまりにもシンプルな成功哲学」とはいったい?
ノンフィクションライターの森功氏の新刊『バブルの王様』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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時間は平等
「この世でいちばん買いたいものは時間ですよ。もしときをカネで買えるなら、金輪際値をつけない。いくらでも出すんだけどね」
それが森下安道の口癖だった。その言葉は、カネのありがたみを人いちばい体感してきたことの裏返しのように思える。常々そう口にしていた森下は、ビジネスに関する決断が速い。自らに言い聞かせるかのように社員たちに向け、こう続けた。
「家だって車だってカネで買えるし、うまくいけば飛行機だって持てる。けれど、時間だけはどうしようもない。それだけ時間は大切なんだよ。貧乏人でも大金持ちでも、どんなに偉い人間でも使える1日は24時間だろ。時間だけは、われわれに平等に与えられている。だから悪いことは言わない、とにかく我慢して他人より3倍働け。そうすれば、結果はあとで必ずついてくるからな」
森下の貸金に対する取り立ては厳しかった。反面、気前はよかった。わけても妻や子供たちには惜しげもなく、求めるものを買い与えてきた。
長女の美佐子と次女の夕子を産んだ京子が病弱だったため、森下は出会ったばかりの福井豊子に子育てを任せた。そうこうしているうちに2人は男女の関係になる。豊子は森下にとって3番目の妻となり、1967(昭和42)年、雅美(仮名)が生まれた。森下の三女である。
洋服屋と金貸しという二足の草鞋(わらじ)を履きながら、森下は雅美の生まれる前年に手形割引業「高千穂通商」を設立した。そこから金融の世界へ足を踏み入れ、瞬く間に大金を手にしていった。
ある意味、時代が森下のビジネスを押し上げた面もある。東京・新宿通り沿いの四谷に洒落(しゃれ)た本社ビルを構えるまでになった森下は、やがて日本一の街金融業者となる。幼い3人の娘たちを連れ、毎年欧州旅行に出かけ始めたのも、この頃だ。