「森下会長、(若)頭が東京に来るので、悪いけどヘリを用意しといてんか」

 1980年代後半の「ヤクザのゴルフ事情」を、ノンフィクションライターの森功氏の新刊『バブルの王様』より一部抜粋してお届け。

 貸付総額は1兆円超のノンバンク・アイチを率いたバブルの帝王・森下安道氏と山口組幹部はどんな関係だったのか?(全2回の2回目/前編を読む)

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送迎はヘリコプター…今なら決して許されない「山口組のゴルフ事情」とは? 写真はイメージです ©getty

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山口組5代目のゴルフ

「瀧澤さんは絵が好きでね、うちのアスカ(インターナショナル)にもよく来てもらったけど、あるときオークションに行きたいというので、連れて行ったんですよ」

 生前の森下安道が、そう話したことがある。瀧澤とは、元山口組最高幹部の瀧澤孝のことだ。江戸時代から続いた「國領屋下垂(こくりょうやしもだれ)一家」の8代目総長である瀧澤仁志が、田岡一雄3代目組長に取り立てられ、組織は山口組直系2次団体となる。

 そのあとを継いだのが、実弟の孝だ。瀧澤は竹中正久4代目組長体制に反旗を翻した一和会との「山一(やまいち)抗争」の実績を買われ、5代目の渡辺芳則組長体制で若頭補佐に就く。文字通り若頭補佐は、山口組ナンバーツーの若頭を支える執行部の一員である。瀧澤は國領屋下垂一家を「芳菱会」と改め、関東ブロック長を務める山口組大幹部の一人として大きな勢力を築いてきた。

 6代目山口組組長の司忍(つかさしのぶ)とともに1997(平成9)年に起きた組員の拳銃所持事件で共謀共同正犯に問われ、逮捕されたこともある。その保釈保証金が司の10億円を上回る12億円に上った。ちなみに保釈金の史上最高額は、牛肉偽装事件で身柄を拘束されたハンナングループの浅田満の20億円で、2番目が日産自動車特別背任事件のカルロス・ゴーンの15億円である。

きっかけは「美術品コレクション」

 美術品コレクションが趣味だった山口組の瀧澤は、やがて森下と親しくなった。その瀧澤本人が山口組5代目組長体制の発足する少し前、次期組長を確実視された渡辺に絵画をプレゼントしようとしたという。オークションに連れて行ったという先の森下の話は、瀧澤からプレゼント用の絵画選びを相談されたときのことである。

 渡辺はもともと瀧澤と同じ若頭補佐として、4代目組長の竹中に仕えてきた。85(昭和60)年1月、組長の竹中とナンバーツーの若頭中山勝正が同時に暗殺された。それを境に世にいう「山一抗争」が勃発する。

 山口組では暫定執行部体制を敷いて渡辺が若頭に昇格し、抗争の陣頭指揮をとった。当初、優勢なのは一和会だったが、次第に山口組という暴力団社会の金看板に押されて形勢が逆転し、89年3月には白旗をあげた。