スーツケースやボストンバッグだけで50個から100個ほど日本から運んだ。すべてルイ・ヴィトンやグッチ製のブランド鞄ばかりだ。むろん荷物の移送は、JALパックが自宅の受け取りから現地のホテルまで請け負う。
JALパックの課長が添乗員となって行動をともにし、現地で雇った日本人の通訳兼ガイドは、森村学園の教師が娘たちに与えた夏休みの宿題の面倒まで見ていたという。そうしてJALオーダーメードツアーの費用は、5人分で5000万円から7000万円に上った。まさに森下一家のために仕立てた特殊な海外ツアーというほかない。
ついたあだ名は「ガイド殺し」
森下はツアーの関係者のあいだで「ガイド殺し」と呼ばれたそうだ。
「なぜ、お前はそんなに気がつかないんだ。もういい、別のガイドに代えてくれ」
ひと月半ほど欧州に滞在するあいだ、現地で雇ったガイドにダメ出しをし、交代させるケースが後を絶たなかった。そのため欧州に駐在するJALの各支店長は、神経を尖らせた。森下に言われるがまま、慌てて他のガイドを探したという。たまたま70年代のその森下一行の大名旅行に付き合った日本人のアルバイト留学生を見つけた。こう思い起こす。
「私はJALのブリュッセル支店長に、『日本から来ている大金持ちのお客さんがいるんだけど、ガイドをやってみないか』と誘われて引き受けました。はじめは誰とも聞かされていなかったのですが、それが森下会長でした。パリで雇ったガイドがクビになったから、ベルギーを案内する者がいなくなったそうなんです。それで、ガイドを引き受けました。ブリュッセルの街はとても静かなのでさほど問題なく、会長には満足してもらったと思います」
JALパックが用意した森下の欧州ツアーはたいていパリを中心に、そこから南下して南仏やイタリアを訪ねたり、隣国のベルギーを経由してドイツやオランダを回るパターンが多かった。いずれも専用の鉄道や自動車を仕立て、陸路で旅をしたあと、場合によってはクルーザーで英国へ渡った。