本当に「気づかなかった」のかどうかは彼女しか知り得ない。しかし当時は「気づかない」ことが大事だったのだ。鈍感力が、山田邦子をずっと山田邦子のままでいさせた。誰かに潰されることなく、自分で潰れることもなく。
女性芸人が語ることと同じくらい、語らないことにも重要な意味があること、そしてインタビュアーが“答え”を欲しがった瞬間にこのインタビューは無意味なものになることを、山田は初回にして教えてくれた。
山田邦子は「軍団」を作らなかった
彼女の鈍感力は、山田邦子という芸人をテレビのてっぺんまで押し上げた。芸人のてっぺんの先には何があるのだろう。女性芸人の上がりはどこにあるのか。
「ゴールはたけしさんだってないでしょうから。(中略)商売だから、これ職業だから。何をやりたいかというのの前にまず『仕事』なんですよ」。
しかし、ビートたけしはたけし軍団を作り、ダウンタウンも周囲をお気に入りの芸人で固める。トップを獲った男性芸人の多くが、その立ち位置を盤石なものにする組織を作っていく。さらに映画を撮る、小説を書くなど、お笑い以外の文化的なジャンルに進出し「ただの芸人」から抜け出そうとする。
それは笑いだけで何十年も勝負し続けることの難しさを示しているようにも思う。いつ価値観の革命が起きるか分からない世界では、早めに足場を固めるに限ると男性芸人は経験的に気づいているし、それを可能にする仲間(男性芸人)はたくさんいるのだ。
しかし山田邦子は、組織を作ることができなかった。彼女をトップにまで引き上げたのも鈍感力なら、彼女に足場を固めさせなかったのも鈍感力だ。
山田の中で芸人は「商売、仕事」であり、地位を保つための手段ではなかった。組織を作らなかった彼女は、40年近く自分が盛り立ててきた事務所からひっそり姿を消すこととなる。
「女が少なかったから、なんでもいいから参加してこいと」
「ひょうきん族」時代の孤独について、インタビューで最も長い時間を割いて話していた山田邦子。「やっぱり楽屋の私はいつもひとりぼっちだったし。地方に『ひょうきん族』の収録に行くと、男の子たちはワーッと遊びに行っちゃうんですよ。(中略)私はひとりだなぁっていうのは常にありました」。
山田邦子と同じように女性MCとして確固たる地位を築いた、元オセロの中島知子のインタビューも「孤独」が滲み出ているものだった。
美人芸人として売り出すという事務所の方針に乗り、勝手が分からないお笑いの世界に飛び込んだ中島。
「『笑う犬』をやらせてもらった時に、私だけ素人……コントやったことなかったんですよ」「素人の延長のような自分が、一気にテレビというすごい変わったシチュエーションに入っていって。女が少なかったから、何でもいいから参加してこいって言われてたんですね」