13年ぶりの女性コンビの決勝進出や、フレッシュな決勝進出者の面々などで大きな注目を集める2022年の「M-1グランプリ」(テレビ朝日系)。
今年初めて審査員に就任した山田邦子さんが、80年代に活躍できた理由について書いた『女芸人の壁』(文藝春秋)掲載のコラムを抜粋・編集したものを掲載します。
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80年代、なぜ山田邦子だけが活躍できたのか
ウェブ連載「女芸人の今」を山田邦子インタビューから始められたのは、私にとって幸運でしかなかった。関東の女性芸人で唯一「天下を獲った」と言われた女性。「ひょうきん族」という伝説のバラエティ番組で、ビートたけし、明石家さんまら錚々たるメンツと肩を並べていた女性芸人。
太田プロの屋台骨を長く支えていた山田は、2019年に古巣を離れフリーランスに。取材時はスポーツ選手のマネジメントを専門にする事務所所属となっていた。天下を獲った唯一の女性芸人としては、正直少々寂しい現在なのではないかと感じていた。しかしインタビューを経て、腑に落ちる部分もあったのだ。
それは女性芸人なんて言葉もなかった80年代に、なぜ山田邦子だけが活躍できたのか、という問いにも繫がる。それは山田邦子一流の“鈍感力”とも言うべきものだった。
師匠もいない、スクールも出てない、劇場の経験もない、自身「ポッと出のミーハー」だったという山田邦子。今のフワちゃんに近い立ち位置かもしれない(フワちゃんはもう少し自覚的だと思うが)。そんな彼女がいきなり百戦錬磨うじゃうじゃの「ひょうきん族」へと放り込まれたのである。
当時を振り返って「『あったけし、たけし』みたいな(笑)。基本、勘違い。だからやりづらかったと思いますよ、周りの芸人は。3年ぐらい経ってから鶴太郎さんに『ほんとに憎らしかった』と言われました」と笑う。女性であるハンデと、素人というハンデ。それを山田は無自覚に武器にしていた。
容姿いじりに関してもそうだった。家では蝶よ花よと育てられていたのに、テレビで待っていたのは容赦ないブスいじり。
「でもね、そこに気づいてからは楽になりました。楽になったというか、独占企業だと思いました。そこまでは自分はかわいいと思ってたから、(中略)ああ違うんだ、だったら顔に何か書いてもいいんだなって」。強い自己肯定感に支えられていたからこその、切り替え。
ハラスメントの概念もあやふやだった時代に、女性芸人が一人。きっと辛い経験をしてきたに違いない、今だから話せる恨みつらみがあるに違いないと思っていた。
しかし山田邦子のインタビューは驚くほど飄々としていて「性格的にほんとにおっちょこちょいなのと、鈍感なので。たぶんいじめられてたんだと思いますけど、当時は気づいていませんでした」と明るく笑う。彼女が「語らないこと」の中に、山田邦子だけが活躍できた理由があったのだ。