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「子供を自分の手で遺族の元へ連れて行き、謝罪させたい」

 当初、Mさんは自分の子が加害者だとは露にも思わなかった。昨年4月の文春オンラインの一報で爽彩さんの事件を知り、加害者や事件に対して怒りが込み上げていたという。  

「実は昨年2月に中学生の女の子が失踪したという情報はSNSなどで知った記憶があり、昨年4月にその女の子が亡くなっていたことを文春オンラインの報道で知りました。そして、女の子が亡くなった原因にイジメがあり、こんな酷いことをする中学生がこの世にいるのかと思いました。私の周りでもこの事件が話題となり、あまりの酷さに涙する人もいて、自分も『この加害者たちだけは絶対に許せない』と周囲に話したくらいでした」  

 報道からほどなくして、Mさんは爽彩さんの事件のことをネットで検索。そこで目の当たりにしたのはネット上に書かれた実子の名前だった。  

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イジメがあった公園 ©️文藝春秋

「忘れられない事件だったので、加害者たちのことが気になり、何気なくネットの記事を読み進めていたら、自分の子供の名前が出てきたのです。正直、ショックと動揺で正常ではいられませんでした。それでもネット情報でしたので、心の中では『本当なのか?』『嘘であってほしい』という思いもどこかにありました。その後も加害者側の様々な情報が出てきて、不安を感じながら知人を通じて事件関係者に確認すると、『(自分の子供が)加害者で間違いない』ということがわかりました。本当に取り返しのつかない大変なことをしてしまったという怒りで、その直後の記憶は今も思い出せません」  

 実はMさんはこの加害生徒がまだ幼かった頃に離婚を経験している。その後、子供を引き取った元妻側に新しい家庭ができたため、子供と直接連絡を取ることはできなくなっていたという。  

「私があの子と最後に会ったのは小学生の頃でした。私の記憶にあるのは、元々の性格がおとなしく、泣きながらイジメられたと話すほど気の弱い我が子の姿です。本人は覚えていないかもしれませんが、友達にイジメられて家に帰ってきた時に私は『お父さんもイジメられたこともあるし、生きていたらイジメられることもあると思う。イジメられて辛いと思ったでしょう? その辛い思いを絶対に相手にさせてはいけないよ』と話したこともありました。そんな思い出で止まっている私の記憶と報道された我が子の行為は結びつきませんでした。