伊藤が戦力外通告を受けた2002年オフの秘話
当日のテーマは多岐に渡った。アマチュア時代におけるそれぞれの印象。1997年にともにチームの主力として日本一に輝いたときの思い出。あるいは、今シーズンのヤクルトの展望……。長年の友人である2人の会話はスイングし、会場を訪れた多くのファンの人たちが熱心に耳を傾けている姿を見ていて、僕は本当に幸せな気持ちになったものだった。
この日、僕にはどうしても聞きたいことがあった。そして、それは同時に多くのファンの人たちに、ぜひ自分の耳で聞いてほしいことでもあった。2002年オフ、故障に苦しんでいた伊藤智仁は戦力外通告を受けた。しかしこのとき、当時のチームメイトだった古田敦也、高津臣吾、そして宮本慎也らの「トモにもう一年、チャンスを与えてほしい」という尽力により、球団は戦力外通告を撤回。翌03年も現役を続けることとなった。
僕はこのときの心境を、公開の場で両者に尋ねたのだった。「なぜ、戦力外通告撤回を球団に訴えたのか?」という問いを宮本ヘッドに投げかけると、その答えは短かった。
「彼(伊藤)がまだ、燃え尽きていないと思ったからですよ……」
この当時のことは本人に何度もインタビューしていた。確かに、宮本ヘッドの言葉通り、伊藤は「こんなところでまだまだやめられない」という強い思いを抱いていた。
「……燃え尽きていないのならば、燃え尽きるまでやらせてあげたい。そう思ったから、球団に直訴しただけです」
この言葉を受けて、伊藤は言う。
「まさか、自分の知らないところでみんながそんな風に動いていてくれたとは全然知らなかったから、本当に驚いたけど、本当に嬉しかったよね」
そして、冗談めかして伊藤は笑った。
「一度はクビになったのに、給料ももらえて施設も自由に使わせてもらえる。“ありがとうございます!”っていう心境ですよ(笑)」
このとき、伊藤は年俸8000万円から1000万円への大幅減俸となっていたものの、「本来ならば路頭に迷うところだったのに、1000万円ももらえるなんて、本当にラッキーでしたよ」と以前、聞いたことを僕は思い出していた。
宮本ヘッドコーチが語った「完全燃焼をさせてあげたい」という思いこそ、ヤクルトの温かさであり、「ファミリー球団」と呼ばれる所以なのだろう。そして、周囲の選手にそんな思いを抱かせる魅力が「伊藤智仁」という記憶に残る名投手にはあるのだろう。そんなことを当日集まったファンの人に見てほしかった、聞いてほしかった。それが、伊藤智仁にまつわる本を書き、この日の司会を務めた僕のささやかな願いだったのだ。
イベント終了後の打ち上げでも両者は楽しそうに野球談議を続けていた。今年からヘッドコーチを務める宮本に対して、伊藤は「この投手はこんな性格だ」「あの選手はここを注意した方がいい」とアドバイスを送る。一方の宮本は、独立リーグで初めて監督となる伊藤に対して、守備体系について、走塁のポイントについて丁寧な説明を続けている。そんな両者の姿を見ているだけで、僕は心地よい酔いに包まれた。
翌日、別件で伊藤と会う機会があった。互いに酒が進んだ頃、彼がポツリと口を開いた。
「昨日のイベント。途中で泣きそうになっちゃったよ……」
僕が「戦力外通告撤回の件ですか?」と尋ねると、彼は「うん」とうなずいた。その言葉を聞きながら、僕はしみじみと思った。
(ヤクルトっていいチームだな。そして2人の間柄も実に幸せな関係だな。やっぱり、伊藤智仁は「幸運な男」なんだな……)
本を書いてよかった。イベントを開催してよかった。ヤクルトファンでよかった。そんな思いを抱きながら、僕は何杯ものグラスを空にした。
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