資本主義の限界を克服する方法
ブレグマン だからこそ斎藤さんは、資本主義の限界を克服するために、脱成長を唱えているのですね。
斎藤 はい。脱成長については、マスコミや研究者のあいだでも、多くの反対意見があります。けれども『人新世の「資本論」』への読者からの反響は大きく、とくに若い世代からの支持を感じています。また、企業のSDGs担当者のなかにも、「自分がやっている仕事は、まやかしなのでないか」との矛盾した思いを私に打ち明ける人もいます。大企業に勤める人々も「じつは斎藤さんと、全く同じ意見です」「でも、大胆な変革の仕方が分からない」と悩んでいるのには驚きました。
ブレグマン なるほど、そうなのですね。僭越かも知れませんが、日本社会については部外者ながらに感じていることがあります。それは、無駄な仕事がとても多いということです。人類学者のデヴィッド・グレーバーが“ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)”と呼ぶような「社会に何の貢献もしていない仕事」ですね。
たとえば私が日本の空港に着いたときに驚いたのが、「階段」「注意」と書かれたボードを持って立っている空港スタッフがいたことです。人間が看板の代わりをさせられているんです。
日本には、誰もが何でもいいから仕事をしないといけないという強迫観念があるよう感じます。
日本人は明らかに働き過ぎ
斎藤 日本でも、コロナ禍で『ブルシット・ジョブ』がよく読まれました。われわれはコロナを経て、“ブルシット・ジョブ”と“エッセンシャル・ワーク”の違いに気づいたのだと思います。“エッセンシャル・ワーク”は人間の生存に不可欠な仕事です。たとえば看護師や保育士、介護士などですね。自らがコロナに感染する危険をおかして、われわれを守ってくれています。
一方、デヴィッド・グレーバーはとくに、広告、金融、コンサルティングなどに“クソどうでもいい仕事”が多いと指摘しています。これらの仕事は、コロナからわれわれを守ってはくれません。にもかかわらず、広告、金融、コンサルティングの仕事のほうが高収入です。看護や介護などのエッセンシャル・ワーカーにもっと高い賃金を払うなど、資本主義の枠内でも出来ることはあると思うのです。
ブレグマン 私が思うに、ひとくちに資本主義と言っても、「日本の資本主義」と「オランダの資本主義」は、大分違うと感じています。たとえば労働時間を見てみましょう。オランダでは週35時間労働です。一方で日本は、残業も含めると週60時間、70時間の労働も珍しくないようですね。日本人は明らかに働き過ぎです。まずは現行の資本主義の枠内でも、変えるべきことはあるのではないでしょうか。
(ヨーロッパ文芸フェスティバル2022 オープニング対談にて収録)