1ページ目から読む
2/3ページ目

なぜ夏冬の五輪を、別々の年に開催するようになったのか?

 正解は「×」です。実は1992年にアルベールビル五輪、1994年にリレハンメル五輪と、2年間隔で開催されたことが1度だけあるんです。冬季五輪は、もともと夏季五輪と同じ年に行われ、夏冬合わせて「4年に1度」のスポーツの祭典とされていました。しかし、アルベールビル五輪とリレハンメル五輪を2年間隔で行うことで、今と同じ「夏と冬を2年ごとに開催する」というシステムに変更されたのです。

1994年 第17回リレハンメル大会 男子ジャンプ・ラージヒル団体銀メダル 葛西紀明 ©佐貫直哉/文藝春秋

 なぜ一緒に行ってきた夏冬の五輪を別々の年に開催するようになったのか、疑問ですよね。これに関しては様々な説が出ているのですが、IOC・国際オリンピック委員会からは明確な理由が示されておらず、真相はわかっていません。

 最も有力な説と見られているのが「冬季五輪の注目度を高めるため」というもの。同じ年に夏も冬も開催していた頃は、どうしても冬季五輪に「夏の五輪の前座」という雰囲気があり、別々の年に開催することでそれぞれの注目度を上げていこうとした、という説です。

ADVERTISEMENT

サマランチ会長の思惑

 この「2年間隔の開催」が決定された1986年当時のIOC総会を取り仕切っていたのが、五輪の商業化を成功させたと評されるサマランチ会長でした。五輪はスポーツの祭典ではありますが、大きな経済効果を持つ国際的なイベントでもあり、商業的にも大きな影響力を持ちます。そのイベント開催の間隔を短くすることが、商業化に舵を切っていたとされるサマランチ会長の思惑と一致したと考えるのは、非常に合理的です。

サマランチIOC元会長 ©JMPA

 と、裏には様々な思惑があったとされる「夏・冬の分離開催」ですが、我々スポーツ観戦が好きな者にとっては、楽しみが2年に1度やってくるのは嬉しいことですよね。その他、夏・冬の両方の競技に出場するという「二刀流」の選手にとっても、この開催サイクルは非常に準備しやすいものになったのではないでしょうか。

トリノ五輪で唯一メダル獲得した日本選手は?

 さて、今回は平昌五輪をより楽しんで頂くべく、「冬季五輪」の歴史に関するクイズを3問ご用意しました。

 冬季五輪に詳しくなって、より熱い戦いに注目していきましょう!

Q1.日本人が冬季五輪で初めて金メダルを獲得したのは、どんな競技だったでしょう?

Q2.冬季五輪に4回、夏季五輪に3回出場した橋本聖子選手。冬はスピードスケートで出場しましたが、夏はどんな競技で出場したでしょう?

Q3.2006年トリノ冬季五輪では、日本選手団は1つしかメダルを獲得できませんでしたが、その時唯一メダルを獲得したのは誰だったでしょう?