九里の背中とフォンタナの作品
さて、この九里の背中の縦棒だらけの状況をどのように考えればよいだろうか。矯めつ眇めつしているうちに、ある絵を思い出した。イタリアの前衛芸術家ルチオ・フォンタナの、キャンバスにナイフで縦に切れ目を入れた「空間概念 期待」と題された一連の作品である。切れ目という点では、先述の「破れている」という感想に近いものがある。前ふくやま美術館副館長(現・下瀬美術館副館長)の谷藤史彦氏によれば、フォンタナは自らの作品の切れ目について「無」の象徴であると考えており、さらにその無は全く何もない無ではなく、「万有の根源」「創造の無」であると強調していたという(※注2)。
そんな視点から改めて新ユニフォームを見てみれば、もしかするとこれは「無」と「有」の象徴なのではないかと思えてきた。名前も背番号も何も見えないビジター用ユニは、いわば全く何もない無である。一方でホーム用の「繁吹」は「1」。「1」は中国思想においても古代ギリシャにおいても、究極の根源、有るもの全てを成り立たせるものと考えられてきた。九里はその「1」を3本も背中に背負っている訳である(「九」里なのになぜ「1」なのかという問題や、カープで「1」を語るならば1月11日生まれの一岡竜司について触れなければならないのではないかという問題は残されているが、それは別稿に譲りたい)。
フォンタナに話を戻すと、彼が作品に「期待」と名づけたのは、キャンバスの切れ目ひとつひとつに期待を込めたからだともいう。私も九里の背中の3本の縦棒に期待を込めたい。というのも開幕後、ビジター用ユニで3連敗を喫したカープは、未だ0勝のいわば「無」の状態だからである。本拠地に戻り、ホーム用ユニで1勝を挙げることができるのか。今日先発が予定されている九里の背中の縦棒に期待を託しながら、応援したいと思う。
※注1:デイリースポーツオンライン(2020年11月21日)
※注2:谷藤史彦『ルチオ・フォンタナとイタリア20世紀美術』(中央公論美術出版・2016)
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