国道163号線の京都府笠置町付近で昨年9月21日午後1時30分頃、大阪府の岩瀬徹郎被告(当時41)が運転するトラックが、山本隆雄さん(65)と妻の倫代さん(65)の乗る軽自動車に正面衝突した事故。京都地裁は4月19日、岩瀬被告に禁固2年8カ月の判決を言い渡した。

 裁判の争点となっていたのは「居眠り運転」だった。岩瀬被告は、警察の取り調べでは居眠り運転を認めていたものの、裁判では「事故を起こしたことは間違いないが、眠気を催した覚えも、前方注視困難になった覚えもない」と否認に転じていた。

 被害者遺族の星野亜季さんは、実刑判決が出たことを受けて次のようにコメントした。

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「裁判長は、居眠り運転を認め、被告の主張を全て退けてくれました。とてもありがたいと思います。その一方で、求刑4年に対して2年8カ月への短縮は、交通犯罪に対する刑罰があまりに軽すぎるようにも感じてしまいます。

 被告は判決が出ると顔を覆って泣くだけで、こちらへの謝罪は一切ありませんでした。ここまで来ても自分のことしか考えられないのだと改めて怒りがわきました」

 亡くなった隆雄さん、入院中の倫代さんに対して“不誠実な対応”を貫いた岩瀬被告、被告弁護人、物流会社社長。彼らがこれまでの裁判で語ったことはどうのようなものだったのか。初公判から第3回公判までの内容を詳報した当時の記事を再公開する。(初出・2023年2月16日、年齢、肩書は当時のママ)

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 約10分にわたって何度も車道のセンターラインを割る1台のトラック。蛇行運転を繰り返し、路肩ギリギリの走行や対向車線にはみ出したまま走り続ける。また、ある時は、対向車線を走るピンク色の車にぶつかりそうにもなっていたほどだった――。

 まさに“危険運転”そのものだが、後続車のドライブレコーダーには運転手の心配する声と決定的瞬間が記録されていた。

「めっちゃ、ふらふらするなー」

「大丈夫? 前の車」

「何しとるん。やばい」

 そして、ついに“悪夢”は起きてしまう。

“ガッシャーン”(衝突)

「やっぱり、やっちまった…」

レッカー移動される前の事故車両(YouTubeより)

救出までに約2時間「即死しなかった父は苦しみながら死んでいきました」

 事故が起きたのは2022年9月21日午後1時30分頃のことだった。国道163号線の京都府笠置町付近で、大阪府の岩瀬徹郎被告(当時41)が運転するトラックが、山本隆雄さん(65)と妻の倫代さん(65)の乗る軽自動車に正面衝突したのだ。倫代さんは奇跡的に一命をとりとめたものの、隆雄さんは搬送された京都の病院で死亡した。

2021年5月、西表島を訪れた山本夫妻。第二の人生をスタートさせたばかりだった(遺族提供)

 当時、埼玉の自宅から奈良の実家に駆け付けた、娘の星野亜季さんが悔しそうに振り返る。

「事故現場は片側1車線で道幅が狭く、逃げ場がない道路でした。元々、事故の多い場所ですが、そんな危険なところで岩瀬被告は10分近くも“居眠り運転”をしていたのです。

 事故に巻き込まれた父は、両足とも膝から下がほとんど引きちぎれていました。骨盤骨折、多発性内臓破裂もあり、胸の形は完全に変形していたほどです。父はしばらくうめき声をあげていたそうで、即死ではありませんでした。車の損壊が激しかったため、救出するまでに2時間近くかかり、父は苦しみながら死んでいきました。また、母は命こそ助かりましたが、脳挫傷などの重体で一時は意識不明でした。

 正面からトラックが衝突したために激しく損壊した軽自動車を見たときには戦慄を覚えましたし、何の落ち度もない両親の無念を思うと言葉になりません」

正面から激しく衝突されたことを物語る事故車両(遺族提供)

 事故から3カ月後の12月15日、初公判が開かれた。過失運転致死傷の罪に問われた岩瀬被告からの反省と謝罪の言葉を期待していた星野さんだったが、岩瀬被告の証言に絶句し、怒りで身体が震えたという。