店内の壁には、ライオンズ選手たちのサインや写真が所狭しと並ぶ。「L」字型のカウンター席で、ほかのお客さんたちと並びながら、その時を待つ。
「はい、イカ定お待ちどおさまでーす」
来た。ここ1年ほど、ドはまりしているイカフライ定食だ。
迷わずかぶりつく。揚げたてのサクッとした衣を歯で突き破ると、ほどよくかみ応えのあるプリプリのイカ――。次の瞬間、芳醇な香りが鼻腔を刺激した。
「サクッ&プリッ」のハーモニーが絶妙極まりない。そのまま食べてもよし、ソースをかけてもよし、タルタルソースもたまらない。通常6切れあるから、色んな食べ方を楽しめばいい。
うまい。文句のつけようがない。
報道陣なら「さあ、これで今日の取材も頑張れる」。ライオンズファンなら「さあ、これで応援前のエネルギーチャージは完了」となる。満腹感と幸福感に支配されながら、歩いて10分足らずのベルーナドームへと向かうのだ。
ファンの方なら、もうお分かりだろう。選手、ファン、報道陣……。みんなが大好き、さやま食堂。通称「さ食」である。
昨季限りで西武担当を離れた筆者だが、ベルーナで3連戦があれば、そのうち2日は試合前にさ食に行っていた。
冒頭からイカフライ定食を推しまくったが、看板メニューの長崎ちゃんぽんを始め、魅力的な選択肢は無数にある。店主の山崎幸正さん(61)のおすすめベスト3は、このコラムの後半で紹介したい。
これだけ大好きなお店を、コラムで書かないのはもはや失礼だ。ということで、山崎さんに少し時間を取っていただき、話を聞かせていただいた。すると、ライオンズとさやま食堂をつないだ、ある選手にたどり着いた。
44年目に突入した「さ食」
山崎さんによると、さやま食堂がオープンしたのは、ベルーナドーム(当初は屋根のない西武球場)が開場した翌年とのこと。つまり、1980年ということになる。山崎さんの妻、由美子さんの両親がお店を開いた。
山崎さんは佐賀県伊万里市の出身。家電会社への就職を機に、上京した。その会社で出会ったのが由美子さんだった。山崎さんが24歳のとき、2人は結婚した。
山崎さんは家電会社に3年ほど勤めた後、食器や厨房器具を扱う会社に転職。営業先のレストランなどで出会う人たちは皆、「将来は自分の店を持ちたい」と夢を持っていた。
そんな料理人さんたちの影響を受けた部分もあっただろうし、由美子さんの両親から「店を継いでほしい」と言われていたのももちろんある。山崎さんは転職から4年ほどしたとき、さやま食堂を継ぐことを決意した。
料理の経験はまったくなかった。
「だしの取り方とかスープの作り方とか、基本になることを全部、お義父さんから教えてもらいましたよ」。すべてができるようになってしばらくした32、33歳のころ、お義父さんから山崎さんへ代替わりした。今から二十数年前のことだ。
当時からライオンズの選手やファンがお店に来ていたんですか?
この質問に山崎さんは「全然、そんなことなかった」と言う。
じゃあ、誰がきっかけだったんですか?
「あなたにそっくりな人だよ(笑)」
え?
「豊田清さんですよ」(自分ではまったくそう思わないが、筆者はたびたび、豊田さんに似ていると言われる)
今に至る、さ食とライオンズ選手、ファンの浅からぬ縁。そのきっかけとなったのは、豊田清・現1軍投手コーチだったのだ。