みなさん、こんにちは! 埼玉西武ライオンズOBの米野智人です(ヤクルト→西武→日本ハム)。
2021年からライオンズの本拠地ベルーナドームのライトスタンド後方にピンクのお店「BACKYARD BUTCHERS」を出店し営業しております。いつもご来店くださっている皆さま、誠にありがとうございます。
一昨年の2021年から始めたお店も今シーズンで3年目を迎えることができました。これも皆さまのお陰です。心から感謝しています。
私、米野は2016年に現役選手を引退して翌年の2017年から「食」の世界に挑戦! 世田谷区の下北沢にカフェレストラン「Westside café」(旧inning +)を開業した。
それ以前は、子供の頃から野球が好きで始め、運もあり、夢であり目標でもあったプロ野球選手としてプレーしていた。仕事として野球をすることになり、喜びや悲しみ、焦りや怒りも感じるような、さまざまな経験や体験をして、野球を通じていろいろなことを学んだ。
自分が思い描いていたようなプロ野球選手になることは叶わなかったが、それでも本当に先輩や後輩、チームメイトや指導者にも恵まれ、いろんなことがギュッと17年間に詰まりまくっていたプロ野球生活だった。
その後については、「野球とは全く別の世界である『食』の道に行ったね!」とよく言われる。確かに17年間というプロ野球のキャリアを捨てて畑違いの仕事をやることに不安はあったけれど、その時はまだ怖いもの知らずで、割と楽観的に考えていた。
お店を構える場所を決めて、どんなお店の内装にするか。壁、天井、テーブル、椅子、厨房機器、食器……などなど。
その他にもいろいろ必要なものがたくさんあって、「飲食店は始める前にこんなに準備するものがあるのか!」と思った。
そして、20坪弱ほどのお店を一から作るのは思っていたよりお金もかかった! 依頼した各業者さんに支払いするたびに自分の銀行口座からどんどんお金が減っていくという恐怖……(笑)。
本当に自分の選択は間違っていなかったのか?
不安になっていく自分にその時、初めて気づいた。
野球しかしてこなかったという“劣等感”
現役最後の2016年は、僕の地元球団でもあった北海道日本ハムファイターズがとてもいい条件でオファーをくださった。前の年にライオンズから戦力外通告を受けた僕に、前例のない「選手兼任二軍バッテリーコーチ補佐」という肩書きでチャンスをくれた。
その年、ファイターズはパ・リーグを制覇し10年ぶりの日本一に輝いた。今もっとも野球界で注目を集めているメジャーリーガー大谷翔平もいた!
そんな中、ぼくは野球を続けるのか、辞めるかで日々悩んでいた。翌シーズンも同じ契約内容でファイターズから打診していただいたが、お断りしてセカンドキャリアに挑戦することを決めた。
2016年シーズンが始まる前に、密かに決めていたことがあった。
選手として、この1年でいい手応えみたいなものがなかったら引退しよう!
そして、全く手応えがなかった(笑)。
この年、一軍出場は1試合だけ。相手は前年まで在籍した古巣のライオンズ。これがプロ野球での最後の試合となった。
しかし、ファイターズがコーチ補佐というポジションで契約してくれるということは、おそらく選手を退いた後のキャリアも考えてくれての契約内容だったのだろう。ある程度長い目で僕のことを見ていてくれていたと考えられ、自分から「辞める」と言わなければ少なくとも数年は選手兼任、その後もコーチとして野球界に在籍できたと思う。
当時は寝る前にそう考えることもよくあり、「自分の選択は本当に間違っていなかったのか?」と眠れない夜もあった。
同時に、「もう今更後戻りはできない!」と踏ん切りをつけようとした。
このコラムを書いていると、今まで感じたことのない不安と日々闘っていた記憶が蘇ってくる。
準備を進め、なんとか無事にお店をオープンすることができた。慣れない仕事に悪戦苦闘しながら、周りの人達の協力もあり新たな挑戦が始まった。
食に関する仕事はもちろん初めてで、できない事だらけ。飲食業は想像していた以上に、やらなければいけない業務がたくさんあった。
はじめは慣れずに、お客さんが来店した時に「こんにちは」や「いらっしゃいませ」もなかなか上手く言えなかった。
そんな中で北海道から、料理が得意で軽飲食の経験がある兄が立ち上げの数ヶ月間、まだ幼い3姉妹を置いて東京に出てきてくれた。兄の奥様にも本当にご迷惑をかけた。
妻にも協力してもらった。会社員時代からの趣味で、独学で作っていたヘルシースイーツがお客様にも大好評で、本当に助けられた。
また、メディアに取り上げていただいた事もあり、多くの野球ファンの方に足を運んでもらい、僕の挑戦を後押ししていただいた。
みなさん、本当にありがとうございました!
その後も悪戦苦闘しながら少しずつ新しいことに慣れていくなか、いろんな感情も湧いてきた。幼い頃に野球と出会って夢だったプロ野球選手になり、野球が仕事になり、気づけば野球しかしてこなかったんだ……という劣等感みたいなものだ。
本当に野球以外の仕事で食っていけるのか?
そんな恐怖心とも日々、闘っていたような気がする。
5万円を稼ぐのは、こんなに大変なんだ! 飲食業の厳しさを初めて思い知らされた。
でも、お店に来てぼくの作った料理を食べていただき、帰り際に「本当に美味しかった!」と言ってくれるお客様もたくさんいて、本当に勇気付けられた。