この日を、どれだけ待ったことか。
西武ライオンズの2年目、隅田知一郎にとって、実に389日ぶりの勝利だった。
4月19日のソフトバンク戦。6回を98球で5安打1失点に抑えた。打線は一回に先制点を取ってくれた。追いつかれた直後の四回、すぐに突き放してくれた。七回以降は救援陣が相手打線の追撃を振り切った。
隅田に白星を――。チーム全体のそんな気持ちが伝わるような戦い。3―2。1点差の勝利だった。
本拠ベルーナドームでのお立ち台。率直な気持ちを問われた背番号「16」の第一声はファンへ向けて、「えー、長らくお待たせしました」だった。
続けて、「昨年から、ほんとにずっと我慢して応援してもらっていたので、どうにかしたい気持ちはずっと持っていました。やっと勝つことができて、うれしいです」。その目は少し、潤んでいるように見えた。
ルーキーイヤーだった昨年、3月26日のプロ初先発で勝利を挙げてから、「2勝目」にたどりつくまでにこれだけの時間がかかるとは、誰が予想しただろう。
担当記者だった私も、その日はすぐに来ると思っていた。が、そこから長いトンネルに入ったことは、詳しく説明するまでもない。隅田はその後、10連敗で2勝目を手にすることなく、1年目を終えた。
担当中に訪れなかった「その日」
私には大きな「心残り」があった。
隅田が勝ったときに書こうと思っていたエピソードを、書けぬままになっていたことだ。ファンの皆さんに、初勝利を挙げた昨年3月26日の試合を思い出していただきたい。
開幕2戦目だった。隅田はオリックス打線を相手に、7回を1安打無失点。ほぼ完璧な内容だった。打線は前年いいように抑えられた宮城大弥から、4番の山川穂高が3ランを放った。5―0の快勝で、昨季の西武にとっての1勝目だった。
翌日のニュースでは、おそらく私をのぞくほとんどの記者が、ドラフトで4球団から1位指名を集めた左腕のプロ初先発勝利をメインで取り上げていた。
しかし、私はこの日、山川で大きな記事を書いた。西武にとっては、山川の復活こそが2022年の最大のテーマであり、優勝の鍵だと思っていたからだ。
隅田のことは、2勝目以降で書こう。そう判断した。しかし、その日が来ないまま、昨季限りで担当を離れてしまった。
書きたかったのは、隅田の「人生観」についてである。