91歳・広岡達朗が『文春野球』読者に伝えたいこと

 交流戦が佳境を迎えている。6月9日からはベルーナドームにて、ヤクルトと西武が激突する。1992年、そして翌93年の両チームの息詰まる攻防を描いた『詰むや、詰まざるや 森・西武vs野村・ヤクルトの2年間 完全版』(双葉文庫)の作者としても、待ちに待った両雄の対決となる。30年前の死闘は今も記憶の中に生き生きと息づいている。

 ヤクルトと西武――、この両チームを語る際に、決して忘れてはいけない存在がいる。

 広岡達朗だ。1978年には球団創設29年目にしてヤクルトを日本一に導いた。さらに、1982年に西武の監督となると、就任1年目、さらには翌年も日本一となった。長年、「お荷物球団」と言われたヤクルト。そして、何度も身売りを繰り返しなかなか球団運営が安定しない中、球界参入をはたしてわずかの西武。いずれにしても、混沌とする状況下で日本一に導いたのが広岡だ。

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 ヤクルトと西武、この両チームを語るとき、「広岡達朗」という名前は決して忘れてはいけない存在だ。ずっと、そんな思いを抱き続けていた。「いつか、広岡さんにゆっくりとヤクルトと西武についてお話を伺いたい」、そんなことを考えていた。そして、ついにそのチャンスが訪れた……。

 1932年、昭和7年生まれの広岡さんは、すでに91歳となっている。球界のご意見番であり、同時に歴史の証人でもあるレジェンドにお話を聞けるという僥倖。数年前にインタビューをさせていただいたときは、ご自宅での対面インタビューだったが、今回は「さすがにもう人と会うのはしんどい」とのことで、電話での取材となった。それでも、「2時間ぐらいなら構いませんよ」とのことなので、お言葉に甘えさせていただく。こうして、ついに「広岡達朗インタビュー」が実現したのである――。

ヤクルト監督時代の広岡達朗

「村上が堕落しないのは青木宣親のおかげ」

 初めに尋ねたのは「ヤクルトには、今でも愛着はありますか?」という質問だった。広岡さんは何の迷いもなく答える。

「やっぱり、ヤクルトに愛着はあるよ。あのショートをどれだけ伸ばせるかというのが、コーチの手腕にかかっているよ……」

 意味を理解するのに、数秒を要してしまった。最初は広岡監督時代の名ショート・水谷新太郎のことを言っているのかと思っていたが、広岡さんが語る「あのショート」とは、なんと長岡秀樹のことだったのだ。

「……あのショートは、顔は坊や坊やしているけど、彼の能力はあんなもんじゃない。あれはね、教えたらうまくなるぞ。いい素質を持っている。いいショートになるよ」

 名ショートとして鳴らした広岡さんのお墨付きが嬉しい。さらに、話は続く。

「ヤクルトが今、チームとして持っているのはレフトを守るあの男のおかげだよ。ほら、早稲田のあの……、そうそう青木。青木がいるから成り立っているんですよ。あとはロクなヤツがいないよ。青木が40過ぎても中心にいるから、あのチームはダメなんだよ。でもね、青木がいるからみんながワガママできない。だからいいんだよ」

 広岡さんと同じ、早稲田大学出身である青木宣親のキャプテンシーを評価していることも嬉しかった。続いて、「史上最年少で三冠王となった村上宗隆はどうですか?」と水を向けると、その舌鋒はますます冴え渡る。

「青木がいなかったら、村上はもっと堕落してるよ。やっぱり、四番はチームを勝ちに導かなくちゃダメだ。以前、バレンティンっていたでしょ。彼のようにチームは最下位なのに、それでワンちゃん(王貞治)のホームラン記録を抜いたって、そんなものに何も価値はないよ」

 バレンティンがシーズン60本塁打を記録した2013年、確かにヤクルトは最下位だった。チームが低迷する中で、いくらホームランを量産しようとも、そこに価値はない。一刀両断だ。しかし、村上は三冠王を実現した昨年、見事にチームをセ・リーグ連覇に導いている。

「そう。村上が成績を残せて、チームが優勝できたのは、青木がいるから。彼がいなかったら、村上はとっくにラクを覚えて、もっと堕落しているよ」

 広岡さんの中では、長岡と青木に対する評価がとても高いということがよくわかった。