人生の巡り合わせは驚くほど面白い
忘れられない試合がある。2019年の春先、仕事に疲れて居酒屋のカウンターに座っていた時、テレビの映像を中日の試合に変えてもらった。対広島4対4で迎えた1アウト満塁の場面で代打阿部。追い込まれたあと、何球も何球も粘り最後はバットを折りながらセンター前へ決勝タイムリーを放った。寿樹はそこからレギュラーに定着。私ももっともっと頑張らないと。背中を押された。これがプロ野球の持つ力だ。
2021年の交流戦、次の機会が訪れた。ちょうど2年前のこと。8番セカンドでスタメン出場となったが、私はベンチリポーター。彼の情報を伝えることはできたが、コロナ禍で取材も制限されていたため、グラウンドで再会することはできなかった。
「次は2023年か」。この時、人生の転機を迎えていた私は退社という決断をし、夢だった寿樹の実況を一度諦めた。ただ有難いことに、野球中継を続けてくれないかという話を頂き2022年シーズンも楽天イーグルスの中継の仕事を頂いた。そして、その年の電撃トレード。今の仕事はやりがいと使命感に溢れているが、移籍が1年早ければ、私は東北放送に勤め続けていたかもしれない。人生の巡り合わせは驚くほど面白い。そして、今年に入り、野球の仕事の依頼がない状態が続いていた。そんな中、先日、古巣・東北放送から電話が入った。「テレビ中継のベンチリポートとヒーローインタビューをやってくれないか」。
6月10日、球場に来るのも久々、寿樹に会うのは数年ぶりだ。「何しにきたの? アナウンサー、辞めたんじゃないの?」。球場で感じたことのない、笑い交じりの懐かしさのある時間が流れた。パ・リーグの難しさ、中日時代の話。最後は「お立ち台で待ってるぞ」と言い取材を切り上げた。結果は2打数ノーヒット。お立ち台での共演はならなかったが、球場で、プロ野球選手としての阿部寿樹と接した時間は、宝物になった。
共に汗と涙を流した高校3年間。神宮球場に通い詰めた大学時代。居酒屋で疲れていた私に活力をくれたあの時。高校時代のチームメイトとの会話の中心は寿樹の活躍だ。その仲間たちと、近日、応援ツアーを予定している。私は、生まれて初めて自分のためにユニフォームを買った。背番号は4だ。プロ野球選手は人と人を繋ぎ、日々の生活に彩りを、辛い時には活力をくれる存在だ。寿樹はそのことを再確認させてくれた。機会は残り少ないかもしれないが、アナウンサーとして選手たちが輝く瞬間を言葉として伝えていきたい。
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