今から10年前に、なんのコネも人脈も後ろ盾も持たざるただの一野球ファンが、「ただ野球が好き」の一点突破のみで無謀にも脱サラ開業してしまった野球居酒屋があるのをご存知だろうか。

 その店の名は『ベースボール居酒屋リリーズ神田スタジアム』といい、それを営む無謀な男というのが今この原稿を書いている私である。文春野球をご覧の皆様、はじめまして。

ベースボール居酒屋リリーズ神田スタジアム ©高橋雅光

開業初期の頃のイーグルファンの来なさは、想像のはるか上であった

「すべての野球ファンにとっての、第二の本拠地球場」などという大風呂敷を広げ、年齢性別贔屓ファン歴を問わず、野球が好きであればライトファンからガチのマニアまで誰でも大歓迎という、いわば「野球ハコ推し」の方針の当店は、集まるお客様も働くスタッフも、推しのチームはてんでバラバラである。

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 そんな店の大方針とは別に、実は密かに抱き続けている個人的野望がある。それは「関東イーグルスファンの聖地」と称されるような場になりたい、だ。

 なぜならば、私自身が高校卒業までを仙台で過ごしたという地縁由来の、球団創設以来のわりと熱心なイーグルスファンだからである。

 12球団の中でもっとも歴史が浅いこともあってか、決して多いとはいえないイーグルスファン。ましてやその大多数は宮城県を中心とした東北地方に分布しているため、関東ファンはさらに少数派。

 私自身も球団誕生の2004年はもう東京で働いており、ファンになった瞬間から今日に至るまでの19年間、一貫してビジター観戦が主戦場の関東イーグルスファンなので、その少なさは身をもってよく知っているつもりだったが、開業初期の頃のイーグルファンの来なさは、想像のはるか上であった。

 当店のデビューイヤーは2013年。そう、イーグルスファンにとってはその数字だけで栄光の記憶がよみがえる、あの唯一無二のゴールデンイヤーだ。

 イーグルスが球団創設9年目にして初のリーグ優勝へ向けて快進撃を続けていたにもかかわらず、全然来ないそのファンのお客様……。

 オープンしたばかりの当店の知名度が今よりもはるかに低かったのは間違いないが、イーグルスと首位を争っていたマリーンズや、結果的にこの年16年ぶりのAクラスに入る躍進を見せたカープのファンなどは連日大挙して押しかけていたのだから、そればかりが理由ではなかろう。やはり母数が少ないのだ。

非イーグルスファンに見守られながらの鏡開き

 イーグルスが悲願の初Vを飾った9月26日夜のことは、今でも忘れられない。

 店がオープンした年に贔屓チームの初優勝まで重なる、などというとんでもないダブル慶事に浮かれた私は、悲願の初優勝を盛大に祝うべく、マジックが残りわずかとなったタイミングで、私費を投じて1斗(18L)の巨大な樽酒を購入。私的な鏡開きの準備を万端整えて迎えた、待望の星野監督胴上げの瞬間。店内にいたイーグルスファンは、なんと私ただひとりだったのだ……。

 優勝決定の場が西武ドーム(当時)だったため、関東のイーグルスファンはこぞって現地へ向かった、という事情もあろうが、それだって全員なはずはない。まさかそんな歴史的な日に当店にイーグルスファンが皆無だなんて、正直想像もしていなかった……。

 大勢の非イーグルスファンの皆様(大半がセ・リーグファンだった)から温かい祝福を浴びながら執り行った鏡開きは、もちろんとんでもなく幸せで嬉しかったが、一抹の寂しさがあったのも事実だ。

©高橋雅光

 ジャイアンツとの日本シリーズでは、急にどうした? 今までどこに潜んでた?と問いただしたくなるくらい多数のイーグルスファンが連日集まり、仙台での日本一の瞬間を遠く離れた神田の地で一緒に見届けることが叶ったが、それでも日本シリーズ期間中の来場者数で多数派を占めたのはジャイアンツファンだった。

 立て続けに訪れたリーグ優勝、そして日本一の熱狂に浮かれて気が大きくなっていたこともあり、その時にまざまざと見せつけられたイーグルスファンの少なさを前に、密かに大それたことを心に誓ってしまったのだ。

「これから来るであろう黄金時代に向けて、次の優勝の際には店内の8割くらい、なんなら全部をクリムゾンレッドに染められるくらい、当店のイーグルスファンを増やしてやる!」と。