「北別府さんが亡くなられました」

 知り合いから突然届いた連絡です。一瞬で時が止まり、体から力が抜け、涙が止まらなくなりました。

 北別府さん、嫌です。もう一緒に笑って話すことができないなんて信じられません。

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 僕みたいな若手で名も売れてない芸人にも優しくしてくれた北別府さん。また一緒にロケに行こうって話もしましたよね。僕はずっと楽しみにしていました。プライベートでも何度もお食事に連れて行ってくれましたね。これからもたくさん楽しい思い出を作りたかったです。

 一度退院されたときにお会いできていろいろと喋りましたね。久しぶりに会った僕の顔を見て「おお、ゴッホくん。なんだか活躍しとるみたいじゃのぉ」と笑顔で言ってくれたのが凄く嬉しかったです。

 そんな北別府さんから最後にもらったメールの返信が「また会いましょう」でした。

©ゴッホ向井ブルー

北別府ネタでピン芸人人生スタート

 ここからは少し自分の話になってしまいますが、僕が今の仕事でご飯を食べられるようになったのは間違いなく北別府さんのおかげです。

 M-1グランプリを観て漫才師に憧れて芸人を目指した僕が初めて作ったピンネタは北別府さんのネタでした。カープの古い雑誌を見つけたとき、表紙の北別府さんがゴルフで真剣にパターのラインを見ていたのがなんだか面白く感じ、そのままネタを作りました。このときのネタで初めてテレビ出演もさせていただきました。

©ゴッホ向井ブルー

 そこから東京のライブシーンにカープネタで出続け、ある日突然知らない番号から電話がかかってきました。「カープに一番詳しい芸人さんだと伺いました。もし大丈夫でしたらオーディションに参加できませんか?」。テレビ朝日の番組『アメトーーク!』のスタッフさんからの連絡でした。

 その後、有難いことにメンバーに入れていただき、初の全国テレビが「広島カープ芸人」でした。どこの事務所にも所属しておらず、いわゆる「フリー」という立場で出演させていただくのは異例のことだったと思います。これも全て北別府さんのおかげです。

現役時代の北別府学さん ©文藝春秋

北別府さんと初めての共演した日

 北別府さんに初めてお会いしたときのことは今でもハッキリと覚えています。

 もしかしたらネタにしていることを怒られるかもしれない……と不安な表情で挨拶に行ったのですが、僕の顔を見て「おー! 噂には聞いとるよ。わしのことをネタでいじりよるんはあんたか?」と笑いながらおっしゃってくれました。その優しい表情を見て、不安は吹き飛び、一気に安心へと変わりました。

 実は広島のスタッフさんが、「北別府さんのネタをする面白い若い子がいるんですよ」と本人に伝えてくれていたらしく「いつか生で見てダメ出ししてやらにゃいけんの」と笑いながら言ってくれていたそうです。

 北別府さんの目の前で北別府さんのネタを披露するという機会も何度かありましたが、全て大笑いしてくれました。北別府さんが笑ってくれていたおかげで、周りの共演者や番組のスタッフさんたちも笑ってくれていたんですよ。本当にありがとうございました。

 その後、北別府さんとは広島で一緒にレギュラー番組が決まり、毎週お会いすることになりました。実はこの番組のスタッフさんからは「きっと北別府さんもゴッホさんと一緒だったら喜ばれると思うのでオファーしました」と伝えられていたんですよ。この仕事も北別府さんのおかげだったんです。