文春オンラインのコラム「不倫はなぜ罪深いのか」で2017年の「貧困型不倫」と「富裕型不倫」について論じた鈴木涼美さん。小室世代の社会学者として、2018年の「小室哲哉問題」をあらためて振り返ります。
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不倫疑惑報道後に引退発表をした一連の「小室事変」の何が興味深かったのかと言うと、世間が不倫報道にはもう辟易としている、とかいうことでは全くなくて、不倫というのがとてもちょうど良い試金石になっている、ということだった。
不倫をすると敵が増える人、味方が増える人
小室哲哉引退会見直後のネット空間は、「やめないで」と「文春許すまじ」の嵐で、「不倫報道にはもううんざり」なんていう言葉もしばしば目に入った。ただ、おそらく「不倫報道なんてもううんざり」というのはやり場のない感情につけたとりあえずの名前であって、例えばここでベッキーが再度不倫した、なんていうニュースが飛び込んできたら、今回週刊誌に怒っていた民衆たちも含めて多くの人がそれを受け入れて、注目したであろう。
不倫をすると敵が増える、という人と、不倫をするとなぜか味方が増える、という人がいるらしい。これが、レイプや強盗など、明らかな被害者がいる犯罪の場合はこれほど顕著に反応が分かれることはおそらくない。フライデーの報道を受けて引退した成宮寛貴の場合も、あれがおクスリと同性愛、という極めてわかりやすく「被害者のいない」疑惑だったからこそ、あれだけ味方たちが激昂したのである。
ではなぜ、ベッキー案件や乙武案件の時はあれだけスキャンダルを受け入れた人たちが、小室さんのそれを拒絶したのか。何も単純な好感度の高さや知名度による差でもない。好感度が高ければむしろ裏切られた感が強くて大衆の怒りを買う、なんていう事例はいくらでもあるだろうし、知名度がそれほど高くないのに不倫報道によってグッと有名になった、なんていう話だってあるだろう。というかそもそもベッキーなんてまさに好感度がバブリーに高いタレントだった。