文春オンライン

「小室事変」について、鈴木涼美から2、3の意見

誰がために不倫の警笛は鳴る

2018/03/02
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小室ファミリーこそがニッポンの頂点だと疑わずに育った

 さて、小室さんについてちょっと考えたい。私はドがつく小室世代である。まぁ私の場合は小室ファミリー狂い以前にディープなアムラーだったのであるが、当然安室奈美恵を含む小室ファミリーこそがJ-POPで、カラオケの持ち歌で、青春で、ニッポンの頂点だと疑わずに育った世代である。TKプロデュースの文字こそ盤石、他のアーティストなど所詮「その他」であった。

©getty

 小室ファミリーの楽曲は「一言であらわすのが難しい」の対極にあると思うので、一言であらわすと、「それほど深刻にやばくはないけどそれなりに色々ある普通の人たちのためにとことんある」ということだ。だからこそ全てに開かれたその態度が本当に全てに受け止められて、彼自身が世界の頂点に座ることになったわけで、奇跡的に輝くものはやはり大衆とともにある、という真理を示して見せたのである。

 さて、ここで想像してみる。小室ファミリー熱が特に盛り上がっていた90年代半ば、TK本人は華原朋美との交際姿をマスコミに晒し、その恋愛が幕を閉じたと同時に同じく小室ファミリーのBガールとの2ショットが写真週刊誌に載り、しばらくたってから本家globe内で結婚をした。まぁまぁ「ファミリー内酒池肉林」とも思うが、もしそこに不倫の一つや二つ混じっていたとしても、それなりに楽しんでそれなりにディスる、そんな世間の反応を許容する余裕があった。少なくとも、朋ちゃんかわいそう、だとか、KEIKO今までどんな気持ちだったのよ、だとか、それくらいの批評は受け入れる緩さが実際にそこにあった。

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大切なものが盤石であれば、多少の痛手など気にしない

 人は、確かに大切なものを叩かれたら怒るが、その大切なものが盤石であれば多少の痛手などそんなに気にしない。TKそのものに、詐欺による逮捕や妻の病状など、笑えない影があるからこそ、彼を愛する人は「そう簡単に彼に触ってほしくない」と感じる。それはある意味、人間の大変に素直で深い善意でもあるし、暴力的な正義でもある。おそらく、成宮事件の時にファンが「フライデー死ね」とまで怒ったのも、彼の柔らかい部分の痛みが「笑えない」と判断されたからであるように思う。