母親の虐待により自宅に軟禁され、小学校と中学校に1日も通えなかった川口佳奈枝さん(30)。姉からは日常的に暴言と暴力をふるわれ「15歳になったら外に出られる」ことだけを希望に生き延びてきた。

 しかし、15歳の春に川口さんが直面したのは、一般的な常識を求める「社会」だった。「漢字は小3まで、計算はわり算の途中まで。他は何も知らず、家族以外と話したことはなかった」という彼女は、自分と周囲の差に打ちのめされることになる。(全4本の2本目/3本目を読む

現在の川口さん(本人提供)

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「15歳になると母から外へ出るのを許され、すぐ働きに出ました」

──母親からの自宅軟禁は、中学卒業の年齢でいったん終わったのですね。

川口 15歳になると母から外へ出るのを許され、すぐ働きに出ました。最初は母が働いていた旅館で布団敷きのバイト。あとは仲居の仕事やコンビニ、ドラッグストア、リラクゼーションサロンなどを掛け持ちしました。月収は20万円ほどで、そのうち5~6万円を家に入れました。家賃として約4万円、残りは光熱費の支払いや母への小遣いでした。

──親に搾取されているとは感じませんでしたか。

川口 これが私の役目だと思っていたので、理不尽とは思いませんでした。むしろ自由に外出できるのがうれしかったし、私が母にお金を渡すことで、家族が平穏になりました。

 姉は当時20歳を超えていましたが、体が弱く、バイトはほとんどせず家事をしていました。大黒柱のはずの母は収入をすぐ飲み代やパチンコに使ってしまうので、やりくりに困った姉は母と険悪に。一方、私は「稼げる人間」として母から頼られるようになり、前より生きやすいと感じていました。

──ほとんど出たことがなかった「家の外」はどうでしたか?

川口 軟禁生活が10年近く続いたので、たとえ近所でも、行きたいところに行けるのは新鮮でした。バイト代で念願の虫歯治療をして、自分の携帯も買いました。

──アルバイト先などで困ったりはしませんでしたか?

アルバイト先で領収書を書くときに漢字が書けず困ったことも 写真はイメージ

川口 私の知識は「小3までの漢字とわり算」で止まっていたので、バイト先では戸惑うことがたくさんありました。特に苦労したのはコンビニのレジです。領収書を書くときに漢字がわからなくて。

──学校に通っていても、15歳で領収書は書いたことがない人が多そうです。

川口 それ以前の問題で、宛名を「カブシキガイシャ〇〇」と言われても「カブ」の漢字がわからなかったんです。「株」は小6で習うらしいんですが、学校に行っていない私は知るはずもなく、お客さんに書いてもらったものを写していました。そういう恥ずかしい思いは何度もしました。