「私にとって学校は『テレビの中の世界』。現実生活に存在しないものでした」

 母親に学校へ通うことを許されず、自宅に閉じ込められ、小学校と中学校に1日も通わないまま社会に出た川口佳奈枝さん(30)は、学校という“遠い世界”についてそう語った。

 なぜ、母親は川口さんの通学を阻んだのか。15歳までの凄惨な日々を聞いた。(全4本の1本目/2本目を読む

ADVERTISEMENT

現在の川口さん(本人提供)

◆◆◆

──川口さんは母親から事実上の自宅軟禁におかれ、小学校と中学校に1日も通わなかったそうですね。何が起きたのでしょう。

川口 私は1995年に滋賀県で生まれました。もともとは両親と姉の4人家族でしたが、父は酒癖が悪く、私が生まれてすぐに両親が離婚したので記憶にありません。

 母はずっと水商売で生きてきた人です。うちは誕生日を祝う習慣がなかったので、母と姉の年齢をよく知らないのですが、30代後半で私を産んだようです。姉は私より8、9歳くらい上で、私は5歳まで姉と一緒に大阪の母方の祖母に預けられて育ちました。母とはその間、ほぼ会いませんでした。

 祖母はいわゆる“普通”の人だったので、姉は小学校と中学校に通い、私も5歳頃から保育園に通わせてもらいました。「来年は小学校やな」と言われて、姉のお下がりのランドセルを背負って喜んだ記憶があります。

「お金がないから行けん」と、母親があからさまに不機嫌に

──そこまでは普通の子ども生活だったのですね。

川口 でも6歳のときに祖母が亡くなると、母は私を引き取って福井に引っ越し、旅館の仲居として働き始めました。そのとき、住民票を移さなかったんです。のちに母は「借金を背負って逃げた実兄の保証人になっていて、取り立てから逃げるために役所で手続きをしなかった」と言っていましたが……。

 私と母は旅館の従業員向けの集合住宅で暮らしました。そして気づいたら春を過ぎ、小学校入学のタイミングを過ぎていました。

写真はイメージ

──子どもながらに「何かおかしい」と感じていましたか?

川口 当時は義務教育という言葉を知りませんから、ただ「小学校には行かないのかな?」ぐらい。でも、母に学校の話をすると「お金がないから行けん」と、あからさまに不機嫌になるんですよ。話はいつもそこで終わりました。

 ただ、登下校の時間に窓の外から子どもたちの声が聞こえるんです。「他の子は学校に行けるのに、なんで私だけダメなんだろう」と思いましたが、母の言葉を信じて、お金がないから仕方ないと納得していました。