──テレビドラマだと、学園物などもありますよね。

川口 『キッズ・ウォー』というホームドラマの再放送を見て「学校ってこんな感じなんだ」と思っていました。あと、母がときどきパチンコの景品でリカちゃん人形をくれたので、先生や生徒役に見立てて学校ごっこをしたり。私にとっての学校は、現実生活にない「画面の中のもの」。ファンタジーや空想上の存在に近い感覚でした。

──小学校には通わないまま、中学校も?

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川口 「なんで自分だけ学校に行けないのか。他の子がうらやましい」とはずっと思っていました。すると、小6か中1ぐらいの年齢の頃、母の知人から中学の制服をもらったんです。「来年から通えばいい」と言われて、すごく嬉しくて。

 でも翌年の春がきても、4月になり5月が過ぎても、母は入学手続きをしませんでした。そしていつの間にか、その制服はなくなっていたんです。「あ、捨てられた。中学にも行けないんだな」と思いました。それから、家で中学の話は完全に禁句になりました。

──では、勉強をする機会もなかったのでしょうか。

川口 市販の国語と算数ドリルを与えられていました。ただ、姉が横でずっとテレビを見ているので、気が散って間違えることが多くて。そうすると「バカ! なんでこんな簡単なのもわからんの?」と姉にペンを投げつけられたり、頭を叩かれるのが日常でした。

 だから勉強は恐怖体験に近く、大嫌いでした。漢字は小3くらいまで、計算はわり算の途中くらいまでで諦めました。

学校はドラマの中にだけある存在だった 写真はイメージ

「デブ」「くさい」という暴言に、バットによる暴力も…

──姉からは暴言、暴力があったのですね。

川口 今振り返ると、姉も母の虐待の被害者だったと思うんです。16歳ごろから幼い私の世話と家事を全て任され、ヤングケアラーに近い状態。余裕なんてなかったはずです。

 でも、当時の私はただ姉を恨みました。母は不在が多かったぶん、怒られることも少なく、あまり「怖い」とは思わなかったんです。でも姉はほぼ家にいたので、関わる時間が濃密で……。姉との思い出のほうが辛い記憶が多いです。

──母親がいなければ、姉を頼るしかないですよね。

川口 そうなんです。姉はスタイルがよく、顔が小さくて細身のかわいらしいタイプでしたが、私は小さい頃から体格がよく、10代はぽっちゃり気味だったので、容姿を徹底的に否定されました。「デブ」「くさい」「死ね」などの暴言は日常で、頭を叩かれたり足で蹴られたり。おもちゃのバットでお腹を強く殴られたときは痛みでうずくまり、しばらく動けませんでした。今、もう一度10代からやり直せと言われても、生きていける気がしません。