──妹に対して攻撃的すぎる気がしますが……。

川口 姉は私のことを恨んでいたんです。というのは、母は姉を産むとすぐ大阪の祖母に預けたので、姉は16歳頃まで母と離れ離れでした。でも私は5歳から母と一緒に暮らしたので、それを根に持ち「私だけ置いていかれた!」と恨み節でした。

 だから姉は私に対して、絶対的優位に立てる「小学校と中学校を卒業した」という点をいつも強調していました。「学校に行ったこともないおまえが人と仲良くできるわけない、好かれるわけない」 「おまえみたいな奴が学校にいたら、みんないじめる。私だっていじめるもん」とよく言われました。

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──学校に行かないことも母親と暮らすことも、川口さんが選んだわけじゃないのに理不尽ですね。

川口 でも家から出られない私は、姉を怒らせるとごはんを食べさせてもらえないので、ご機嫌を取るのに必死でした。どんな罵声を浴びても謝るしかなく、何度「ごめんなさい」と言ってもダメなときは、ひたすら土下座でした。

──子ども2人で、体調が悪くなったときはどうしていたのですか。

川口 母は行政手続きをほとんど放置していたので、国保も年金も未加入でした。だから私も姉も、保険証というものを知らないまま育ちました。病院に行ったことはありません。

「おまえなんか顔洗っても意味ない」「歯を磨いたからってキレイになったと思うな」

──1回も?

川口 はい。物心ついてから15歳まで、病院には1回も行きませんでした。ケガをしたらオキシドールとオロナイン、病気になったら寝て治す。一度、飼い猫に腕を噛まれて3週間くらい腫れたことがありましたが、そのときも消毒とオロナインで乗り切りました。高熱が出ても寝るだけです。

虫歯で激痛が走っても病院へは一度も行けなかった。 写真はイメージ

──ひとつ間違えば、重篤な状態になってもおかしくないです。

川口 中でも一番キツかったのは虫歯の痛みでした。私、歯磨きを教わらなかったんですよ。学校に行ってないから歯科検診の機会もなく、虫歯がどんどん増えて。

 虫歯が進行して歯の神経が死ぬと、痛みはいったん楽になるんです。でもさらに放置すると、歯の根が炎症を起こして“膿みの袋”ができます。そうなると頬まで腫れて、地獄の痛みでした。

──聞いてるだけで痛そうです……。

川口 その膿みが破裂するまでただ我慢するんですが、耐えがたい激痛でした。食事ができないだけじゃなく、空気があたるだけでも痛い。バファリンは効かず、薬局の一番強いロキソニンを飲みまくってました。

──壮絶です。

川口 歯を磨かなかった理由は、姉からの暴言のせいもありました。私が洗顔したり歯磨きすると「おまえなんか顔洗っても意味ない」「歯を磨いたからってキレイになったと思うな」と。だからおかしな話ですが、私の中では「姉に怒られないために、できるだけ汚いままでいよう」という思考になっちゃったんですよね。

 唯一の希望は「15歳になったら働ける」と母に言われていたことです。10歳を過ぎた頃からは「15歳になったらバイトして、その給料で歯医者に行こう」とずっと思っていました。

次の記事に続く 「下心しかないとしても男性に求められると…」姉に“恥ずかしい存在”と責められ続けた女性(30)が出会い系にハマった切なすぎる理由

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