──日中はどう過ごしていたのですか。
川口 ひとりで留守番するか、集合住宅の敷地内の公園で遊んでいました。その後、大阪と神戸に短期間住み、8歳頃にまた福井に戻りました。でも住民票は大阪のままだったので、私は完全に行政の目からこぼれた「いない存在」でした。
福井に戻ったときから、高校を中退した姉も一緒に住むことになりました。姉は炊事、洗濯、掃除、買い物など、すべての家事の担当です。私は相変わらず公園で遊んでたんですが、平日の昼間に小学校2、3年生ぐらいの子が公園にいたら、周りはだんだん「おかしいな」と思いますよね。
──たしかにそうですね。
川口 あるとき近所の子に学校のことを聞かれたので、行ってないことを素直に話したら、あとで母が「言ったやろ!」と大激怒して。あまりに怒られたので、その日を境に「家族以外の人と話しちゃダメなんだ」と思うようになりました。
「母は役所で私の就学手続きをするくらいなら、パチンコに行くのを選ぶ人でした」
──数少ない社会との接点が封じられたのですね。
川口 母は周囲に「娘は大阪の実家に預けていて、向こうの小学校に通っている」と話していたんです。母は怠惰なうえにプライドが高く、他人から注意されるのをすごく嫌う人でした。だから、義務教育を受けさせていないのを隠すためにウソをついたんです。
この頃から母はパチンコにのめり込み、時間があれば繁華街へ。養う家族が増えたうえ、水商売時代より収入が減ったので、取り返したかったんだと思います。役所に行って私の就学手続きをするくらいなら、パチンコに行くのを選ぶ人でした。とはいえパチンコでますますお金が減り、家には食べ物もろくにありませんでした。
──辛いですね。
川口 何よりも辛かったのは、学校に行ってないことが近所にバレて母に怒られたあと、家から出るのを禁止されたことです。
私は「大阪の小学校に通っている」設定なので、平日も週末も24時間外出禁止になりました。例外は、学校の夏休みなどの長期休暇中だけ。そのときは「大阪から福井に遊びに来た子」として外に出られました。それ以外の時期は、部屋で窓のそばに立つのも禁止です。
──なぜでしょう?
川口 「外からガラス越しに姿が見えるといけないから」です。カーテンはいつも締めきりで、太陽を浴びたことはほとんどありませんでした。日常の買い物は姉の担当だったので、私は15歳になるまで家族以外の人とほぼ話したことがありませんでした。
──家の中ではどう過ごしていたのですか。
川口 母は仕事が終わるのが遅く、飲みに行くことも多かったので、いつも夜中に帰り昼まで寝ていました。私と姉も自然と昼夜逆転の生活になりました。母がいない時間はずっとテレビとゲームでした。PS2やDSの時代だったので『キングダムハーツ』や『nintendogs』はよく覚えています。
