教育放棄により小中学校に通えなかった川口佳奈枝さん(30)は、20歳で結婚。暴言と暴行に支配された実家を抜け出し、幸せな生活を手に入れたように見えた。しかし、平穏な生活は長く続かなかった。
「福井にいるはずの母が、リビングに立っていたんです」。母の突然の来襲、そして警察の事情聴取──20代の川口さんの人生を大きく揺るがせた「事件」を聞いた。(全4本の3本目/4本目を読む)
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──20歳で結婚して、初めて実家を出ることができたのですね。
川口 夫の家族と同居するため、実家のある福井から愛知へ引っ越しました。夫の両親は私の事情を理解してくれて、経済的にも支援してくれました。
一方で、私と母と姉の関係には、決定的に亀裂が入りました。姉とは21歳のときに、私から縁を切ったんです。
──何があったのですか。
川口 それまでは殴られても罵倒されても、いつか姉と仲良くできるかもと思っていました。でも、共通の友人に私の陰口を言っていたのがわかり「この人は私を本当に嫌いなんだ」と気づいてしまって。「もうムリだ」と、私の中で何かがプツッと切れました。
「おまえは家から勝手に出てった」「出てくなら育てんかったらよかった」
──実家を出て、距離ができたせいもある?
川口 今思えばそうかもしれません。姉はずっと私を「勉強も家事もできない、自分より下の人間」と見下していました。だから「デブ」「ブス」「死ね」などの人格否定や、叩打、蹴りなどの暴力をふるったんです。でも15歳からの私はバイトで稼げるようになったので、姉は私に劣等感や嫉妬を感じていたんだと気づきました。ずっとやられる一方で耐えてきましたが、これをきっかけに関わるのをやめました。
──母親との関係に変化はありましたか?
川口 愛知に引っ越してからも、母からはよく夜中に電話がありました。「おまえは家から勝手に出てった」「出てくなら育てんかったらよかった」などの罵倒です。そして最後は必ず金の無心でした。1回につき2~3万円、合計10万近くは渡したと思います。
でも私は引っ越したときに仕事を辞めているので、そのお金は夫が稼いだものなんです。それで数回目に「これ以上は渡せない。距離を置かせてほしい」と言い、LINEをブロックしました。

