──母親の様子はどうだったのでしょう。

川口 署内で警官が立ち合うというので、恐る恐る母と面会しました。仲居の仕事を辞めて金に困っていたと話す母に「職業訓練校とか人材センターとか、仕事を探す方法はあるやんか」と言いましたが、母は「私の性格、知ってるやろ? 嫌なことはすぐにやめてまうわ」と開き直りました。

──悪びれもせず。

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川口 母の言葉に腹が立ち、とっさに言い返しました。「私は15歳から生きるために働いた。ほかに選択肢はなかった。世の中もみんな、好きで働いてるわけじゃない。なのに、おかんは『嫌だから仕事しない』と甘えてる。そのせいで周りがどんだけ迷惑してきたか。なんで働かんの? 自分だけ特別やと思ってるんか?」と。母に対等な立場で文句を言ったのは、このときが初めてでした。

 すると母は突き放すように「もうええわ」と言い、あとは話になりませんでした。ただ、私のことを見下しているのは、態度からすごく伝わってきました。「もう親子には戻れない」と思いました。

現在の川口さん(本人提供)

──暴行についての処罰はあったのですか?

川口 ないです。母は事情聴取でも反省する様子はなく、ただ私の悪口を言い続けたそうで、担当した警官も呆れていました。そして警察のすすめで、母に「娘には今後一切関わりません」という書面にサインをしてもらい、私は福井への交通費として3万円を渡しました。「このお金で母と縁が切れるなら」という思いでした。

 それからは一切連絡を取っていません。今は60代後半だと思いますが、私の中ではもう関わりのない人です。

「姉の電話とLINEをブロック、完全に絶縁したので、今どこで何をしているかも知りません」

──22歳で、ついに母と縁が切れたのですね。

川口 でもしばらくは、あの日の母の姿が頭から離れなくて……。夫や義理の家族がドアを開けるたびにビクッとして、家にいるときも施錠するようになりました。

 そんなことがあっても義理の家族はよくしてくれたのですが、結局23歳のときに離婚しました。大きな理由は、特にないんです。義理の家族はすごく仲がよくて、いい人たちだったんですよ。それが私にはムリでした。

──いい人なのがムリ?

川口 円満な家族の輪の中に私を優しく迎えてくれたのですが、ずっと「うまくなじめない」感覚がありました。私は仲のいい家族を知らずに育ったので、どこかに恐怖心があるのかもしれません。夫の妹が子連れで帰省してきても、私は子どもとの接し方もわからないし、だんだんしんどくなってしまって……愛情不足で育った欠落でしょうか。結局、私から離婚を切り出しました。

 離婚が決まり、連絡を絶っていた姉と久々に話したんです。すると姉はまた、陰で夫に私の悪口を言っていました。それで今度こそ姉の電話とLINEをブロック、完全に絶縁したので、今どこで何をしているかも知りません。私は友達を頼り三重県に引っ越し、就職して新しい人生を始めることにしました。

次の記事に続く 「お姉ちゃん、あなたの言葉は間違ってたよ」母親・姉と絶縁して人生を取り戻した女性(30)が戦った“肉親の呪い”と"復讐の形”

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