努力の人。自らの役割を理解していた人。段四郎さんを知る人々は口をそろえてそう言う。
息子の猿之助を育てたことは段四郎の大きな功績
「彼の一方ならぬ努力はいろんな形で功績として残るはずです。兄の猿翁さんを支えただけにとどまらず、よその一座で脇役を伝統的な形で演じたこと、息子の猿之助さんを育てたことなどが挙げられるでしょうね。
猿之助さんは父親よりも叔父の猿翁さんに懐いているのが客席からも分かりました。華やかな芸風の叔父に憧れて歌舞伎の道に進んだことを、実の父である段四郎さんは咎めるでもなく伸び伸びと育てた。段四郎という父親の理解がなければ、猿之助の成功はなかったかもしれない」(前出・児玉さん)
多少の不祥事は芸の肥やし――浮世離れした梨園につきものの言葉だが、段四郎さんは粗相とは無縁の篤実な人物だった。児玉さんには忘れられない思い出がある。
「段四郎さんは梨園外部の人にも丁寧な対応をなさる方なんです。私がインタビューをした後、偶然会った時に『先日のインタビューの原稿で、ゲラを直しましたがあれで大丈夫でしたか』と気遣ってくれたんです。普通、ゲラの直しで気を遣ってくれる人なんていないのでよく覚えています」
「食事がのどを通らなくて…」
福田さんもまた、段四郎さんの人柄に触れた一人だ、
「性格は温厚そのもので、悪い噂は聞いたことがありません。今から25年くらい前ですが、私も段四郎さんも同じ時期に大病を患ったんです。それで数年ぶりに会ったときに、段四郎さんは面影が無いくらい痩せてしまっていて、一瞬誰だか分からなかったんですが、わざわざ向こうから『段四郎です』と話しかけてくださった。
それからは歌舞伎座の2階で会うと『体の調子はどうですか』互いを気遣う挨拶から始まって、他愛のないことを話すようになりました。10年位前に段四郎さんが舞台に上がらなくなったときに近況をお尋ねしたら、『体調はまあまあですが、食事がのどを通らなくて』とおっしゃっていました。歌舞伎は体を使いますし、お歳を召されたから仕方のないことだと思っていましたが……」(福田さん)
歌舞伎界を脇から支え続けた市川段四郎76年の生涯は、前代未聞の“事件”で幕が下りてしまった。喪失の悲しみは深い。
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