いまから20年前のきょう、1998(平成10)年3月2日、奈良国立文化財研究所が、奈良県明日香村の飛鳥池遺跡から、「天皇」の文字が書かれた最古の木簡が出土したと発表した。この木簡は、一緒に見つかった木簡2点に天武6(677)年を示すとみられる「丁丑(ていちゅう)年」の年号があることや、やはり同時に出土した土器の特徴などから、7世紀後半の天武・持統朝につくられたものと判定された。
「大王(おおきみ)」に代わる君主号である「天皇」号の成立時期については、天武・持統朝のほか、推古朝(6世紀末~7世紀初め)、天智朝(660年代)の3説があり、学界では長らく議論が繰り広げられてきた。このうち推古朝成立説は、従来ほぼ通説とされていたものだ。法隆寺金堂の薬師如来像の光背銘や、日本最古の刺繍とされる天寿国繍帳(中宮寺蔵)の銘文など、推古朝の銘文に「天皇」の語がみえるというのが、その根拠である。これに対し、天智朝成立説は野中寺(やちゅうじ)弥勒像銘などを根拠とする。だが、その後、これらの銘文は天武・持統朝に製作されたものと考えられるようになり、天皇号もこの時期に成立したとする説が有力となった。そこへ来て飛鳥池遺跡で見つかった木簡は、天皇号が天武・持統朝には確実に存在していたことを示す史料として注目を集めた。
ただし、近年、前出の天寿国繍帳や野中寺弥勒像などの銘文の再評価が進んだこともあり、天武・持統朝以前の成立説もあらためて浮上している。天皇号の成立時期をいつに定めるかは、天武・持統朝に成立した律令国家と天皇制の関係を考えるうえでも重要な意味を持つ。それだけに議論は一筋縄ではいかず、結論が出るまでにはまだ時間がかかりそうだ。