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小3でうちわに「大好き!! 和田つよし!」と書いた少女が、アイドルとなり、和田投手にインタビューするまで

文春野球コラム ペナントレース2023

2023/07/21
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 私が和田毅投手のファンになったのは2003年。私が小学校3年生で、和田投手はルーキーの時でした。

 周りの友達が男性アイドルに夢中になりかけるお年頃の中、私は和田投手の下敷きを使い、油性ペンで“つよし命”と書いていました。

 下敷きは引越しをしすぎて失くしてしまったのですが……。

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 応援団扇がありました! 見てみるとこのうちわにも当時流行っていた“ぷっくりする透明のペン”で「大好き!! 和田つよし!」と書いていたみたいです。

和田さんうちわ ©坂口理子

 爽やかな人!!という理由で好きになった小3の私(好きになるきっかけ小学生っぽい)でしたが、あの頃は球場に家族と行っても3時間じっと試合を観ていられませんでした。当時は野球のルールなどまったく知らず、ただ球場の雰囲気が大好きで。メガホンを持って応援する! 選手のホームランを観て知らない人とハイタッチなんてしちゃって盛り上がる! 家族に連れて来られただけの私でしたが行く度にそのような空間が大好きになっていきました。

 外野応援席で観戦した際は、メガホンダンスがとにかく楽しくて。当時からダンスが好きだった私にとっては、外野席でのメガホンダンスを真似て踊る事が、後々のアイドル人生に効いていたのかもしれません。

 一番印象に残っているのは当時試合終了後にドームの外で行われていた、応援団の方が取り仕切る二次会のような物に小学生ながら参加した事です!

 夜遅くまでおでかけしてるぅぅぅ!! そこが、小さい私にとって特別な時間だったのかなと思います。

 時は過ぎ、高校生になった私。

 当時のドームでは“女子高生デー”が開催されており、女子高生、いわゆる“JK”になったら「女子高生デーに友達と行くんだ!!」と、とても憧れがありました。そうして、友達と3人で行ったのが2011年の女子高生デーでした! 当時のアパレルブランド“セシルマクビー”とのコラボユニフォームに袖を通し、友達だけで観戦する野球は格別で、ピンクに染まったドームをみながら応援した日は、忘れられない思い出になりました。

女子高生デー ©坂口理子

ホークスタウン“出入り禁止”だった研究生時代

 その1年後、私は高校3年生で保育系の学部のある大学に進学するため、猛勉強の中。アイドル好きだった姉の勧めによりHKT48のオーディションを受け合格し、一気に進路を変えアイドルの道へ。

 HKT劇場は今、BOSS E・ZO FUKUOKAの1階にありますが、2期生として加入した当時は“ホークスタウン”の中にありました。大好きなホークスの近くでお仕事ができる事もまた、嬉しかった事を覚えています。試合終了時間と、劇場公演の終了時間が重なるともう大混雑! 劇場公演終了後、いつものように掃除をして反省会をしようとすると、

「やばい! もうすぐ試合が終わりそうだから急いで出る準備して! 混むよ!!」

 とスタッフさんの声。

「えー!! ……えっと……じゃあ……今日こことここの部分がこうなってました! 他にはありますか……」

「○○の曲の○○が少し揃ってなかったです!」

「気をつけましょう! ……解散!!」

 という日もしばしば。

 そんな日を迎える度に「こんなにドームに近いのに、全然行けてないなぁ……」とドームへ思いを馳せておりました。

 当時の私は自身のアイドル活動に必死になっていたこともあり野球観戦に行く事も減ってしまいました。

 さらに当時は、ホークスタウンへは出入り禁止だったのです(ファンの方に遭遇し写真を撮られたりお話しているところを見られては個人的繋がりがあるのではないか? などと誤解されない為だと思います!)。

 なので、ドームにプライベートでいく機会も減るのも、そのはずでした。ですが、月日を重ねるごとに少しずつHKT48が福岡のアイドルとして、同じ九州を盛り上げる者として、ホークスのイベントに出演する事ができたり、何人かのメンバーが球場のPR活動をしたり、先輩が始球式をされていたり!とお仕事での関わりが増えてきたのを覚えています。

 当時の私はもちろん“選抜メンバー”ではなかったのでHKTの代表としてお仕事をする事はあまりなかったですし、研究生だったのでホークスに例えるとまだ三桁の番号を背負っている状態でした。

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