文春オンライン

鉄オタ崩れの「珍撮団」には億単位の損害賠償を求めるべき…鉄道ライターが「スシローに学べ」というワケ

source : 提携メディア

genre : ライフ, 社会

note

だから私は「迷惑な撮り鉄」を「撮り鉄」とは別に「珍撮団(ちんとりだん)」と呼んで区別してほしいと思っている。カッコ悪い名前にすれば、自分たちの行為がカッコ悪いと気付き、態度を改めてくれるか、退場してくれると思うからだ。しかし残念ながら「珍撮団」は私しか使っていない。ちっとも流行らない。まことに残念だ。

マナーの悪い張本人はマナー論議に参加しない

迷惑撮り鉄を「珍撮団」と呼んでもすぐに弱体化しないと思う。しかし撮り鉄の風評被害の軽減になるだろう。とにかく私たち鉄オタは「珍撮団」と区別してもらいたい。

10年ほど前、しなの鉄道沿線の桜が珍撮団に伐採されるという事件が起きた。あの時も撮り鉄批判で炎上した。マナー論議もあり、鉄道雑誌やカメラ雑誌がマナー向上を訴えた。

ADVERTISEMENT

あれから10年、状況はちっとも変わらない。マナー論議にマナーの悪い張本人は参加しないからだ。マナーをわきまえた人々が、それぞれの方法で議論するだけ。マナーを学ぶべき珍撮団に届かない。

なぜ撮り鉄は同じ場所で同じ列車を撮りたがるか

先日、SNSで友人が「なんで撮り鉄は同じ場所で同じ列車を撮ろうとするのか」と問いかけた。同じく不思議に思う人もいるかもしれない。以下のような私の持論で納得してくれるだろうか。

簡単に言えば、撮り鉄という趣味は狩猟に通じる。誰かの獲物では満足できないから、自分だけの獲物がほしい。同じ場所で撮った同じ列車の写真を飾るならプロの写真でいい。しかしそれは自分の獲物ではない。だから同じ場所で狩ろうとする。

もう少し大きく論じれば、たいていの趣味は「狩猟」「採集」「栽培」の3つの要素のどれかがある。獲物を獲得する「狩猟」、モノを集める「採集」、モノを作る、育てる「栽培」だ。これらは人が食料を得るための本能と言っていい。

ところが人が進化し、通貨によって経済活動を始めると、「狩猟」「採集」「栽培」をしなくても食料を得られるようになった。しかし食料を得るための本能は残った。「狩猟」「採集」「栽培」の本能を満足するために遊び始めた。これが趣味。つまり本能の代償行為である。趣味はお金で食料を買ったり、領民から献上されたりする人々が始めた。