2021年6月、大阪のカラオケパブで稲田真優子さん(当時25)が刺殺された事件。宮本浩志被告(当時57)は1審で懲役20年の実刑判決を受け控訴していたが、7月10日に大阪高裁はこれを棄却した。

 これまでの裁判で宮本被告は「判決は死刑をお願いします」「被害者遺族の意図を汲むならぜひとも死刑を下していただきたい」「私についてはいかなる質問についても答える気はありません」などと異例の主張をしていた。

 稲田さんの身に一体何が起きたのか。真相解明の一助になることを願い、当時の記事を再公開する(初出2022年9月18日、肩書き、年齢等は当時のまま)。

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 9月16日、大阪地方裁判所・201号法廷に姿を現した宮本浩志被告(57)は、逮捕される直前となる1年3カ月前と比べて、やけに老け込んだ印象だった。

 茶色がかった銀縁のメガネは同じだが、薄い頭髪は角刈りになって白髪が目立つようになり、真っ白な肌がやたらとたるんで見えた。以前はいつも仕事帰りのスーツ姿だったが、この日は黒を基調とした半袖のスポーツウエアを着込んでいたことも、そう思わせた要因かもしれない。マスクの下部分からは、不似合いな無精髭も飛び出していた。

 宮本被告は2021年6月11日、一方的に好意を寄せていた大阪・天満のカラオケパブ「ごまちゃん」のオーナーである稲田真優子さん(当時25歳)の顔面を殴打し、粘着テープで縛り、その後刃物で首や胸など10箇所以上を刺して殺害した罪に問われている。

稲田真優子さんと宮本浩志被告 遺族提供

 私は稲田さんと友人関係にあったことから、被告とも何度か店で顔を合わせていた。

 最初に見かけたのは、稲田さんの前職場であるカラオケバーだ。宮本被告はいつも19時頃に来店し、店内が混み合っていなければカラオケを独占して下手なアニメソングを歌い続けていた。常連客から「まゆ太郎」と呼ばれて親しまれていた稲田さんが接客で忙しかった日には、相手にしてもらえないことに苛立ったのか、テーブルを叩いて突然「もうええわ」と叫び、店を出て行く姿を目撃したこともある。

半年で83回の来店、そして膨大なLINE

 彼女が長年の夢だった自分の店「ごまちゃん」を昨年1月に天満でオープンさせてからも、店で何度か宮本被告の姿を見かけた。コロナ禍でアルコールの提供を中止し、時短営業せざるを得なかったまん延防止重点措置の時期は客足が少ないこともあってか、被告は異常なまでの頻度でお店に通っている。

 2021年の1月は14回、2月が18回、3月が22回、4月が9回、5月が13回、そして6月が7回と、オープンからおよそ5カ月の間に計83回も来店しているのだ。4月が少ないのは、稲田さんが体調を崩して店を休んでいたからと思われる。

 2日に一度のペースで店に足を運ぶだけでなく、LINEでのメッセージや電話の頻度も常軌を逸している。

稲田さんが「ごまちゃん」をオープンした1月のLINE。「僕はゴミなんだね」という言葉が見える 遺族提供

 今年8月末、警察から遺族の元に戻ってきた稲田さんのスマートフォンには、宮本被告から届いた大量のLINEが残っていた。私は遺族の許可を得て事件当日のやりとりから遡っていった。「おはよう」の挨拶から、その日の天気予報、昼食の報告などの一方的な連絡が続き、稲田さんは時折返信するのみ。事件直前の3日間だけで、その数は数十通にのぼっていた。

 また、執拗なまでのLINEのメッセージがなかなか既読にならなかったり、稲田さんが電話に出ないことが続くと、「僕はゴミなんだね」「ゴミなりに接するようにしますね」とすねるような一面も見せていた。