「爆発卵」「全国アホ・バカ分布図」「マネキンと結婚したい」「おじいちゃんはルー大柴」……これらタイトルを見ただけで内容を思い出す人も多いのではないだろうか。いずれも大阪・朝日放送の深夜番組『探偵!ナイトスクープ』でとりあげられたテーマである。この番組はいまから30年前のきょう、1988(昭和63)年3月5日に放送が始まった。以後、関西だけでなく全国で放送され、現在にいたるまで幅広い層から人気を得ている。

初代プロデューサーの松本修 ©文藝春秋

『探偵!ナイトスクープ』はそのタイトルどおり、視聴者から依頼を受けた探偵たち(芸人や俳優が務める)がロケに出て調査する様子をVTRに収め、それに対し、探偵局に見立てたスタジオで局長がコメントするという形をとっている。番組の初代プロデューサーを務めた松本修によれば、この番組はそもそも彼が朝日放送の副社長から若者向けの番組をつくれと命じられたことに端を発する。松本はひと月ほど考えた末、当時関西で人気のあったタレントの上岡龍太郎をメインにすれば何かできるのではないかと思いつき、この企画が生まれたという(松本修『探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子』ポプラ社)。

2013年、放送25周年記念で会見した局長の西田敏行と秘書の松尾依里佳

 局長役に上岡を据えた『ナイトスクープ』は、放送開始当初こそ苦戦が続いたものの、若手ディレクターらが切磋琢磨しながら工夫した結果、3年目に入るころより視聴率を伸ばし、1993(平成5)年12月24日には30%(ビデオリサーチ調べ)を記録するまでになる。冒頭にあげた「爆発卵」はこのとき放送され、爆笑をとった。

ADVERTISEMENT

初代局長の上岡龍太郎 ©文藝春秋

 その後、2000年4月に上岡が芸能界引退にともない番組から降板。しばらく探偵が順繰りで局長代行を務めたあと、01年1月には2代目局長として、以前より『ナイトスクープ』のファンだったという俳優の西田敏行が迎えられた。同番組のファンは、西田だけでなく、タモリや黒柳徹子など芸能界にも多い。16年5月にはダウンタウンの松本人志が依頼人で登場して話題を呼んだが、これ以前にも、ビートたけしから依頼のハガキが来たものの、取り扱いにくい内容だったため、残念ながら不採用になったという(前掲書)。