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広島・長崎に原子爆弾投下
ポツダム宣言受諾の決断を先延ばししているうちに、8月6日朝、広島に原子爆弾が投下された。爆発の衝撃と熱線、大量の放射線、その後に続く爆風で市街地はたちまち火災を起こし、さらには死の灰が広範囲に降り注いだ。広島の街は瞬時に灰燼に帰した。
広島県発行の『原爆三十年――広島県の戦後史』によれば、原爆投下時に市内にいた日本人は約42万人と推定され、この他に徴用などで強制連行された朝鮮人が「数万人」いたといわれる。このうちの約15万9000人が5カ月後の12月末までに死亡した。死亡者はその後も増加し、被爆1年後の死亡者は約16万4000人に達した(2022年8月6日時点で「原爆死没者名簿」に登載された人数は33万3907人となった)。
その3日後の8月9日、長崎にも原爆が落とされた。被爆直後の8月末現在で長崎県が発表した死者は行方不明者を含めて約2万1600人だったが、その後も犠牲者は増えていった。
結果として1950(昭和25)年7月に長崎市原爆資料保存委員会が推定した犠牲者の数は、死亡者7万3884人、重軽傷者7万4904人だった。そして長崎に原爆が投下される前日の8月8日、ソ連が参戦した。