長野県松本の郷土部隊として前線へと動員された「松本百五十連隊」。太平洋における日本海軍の最大の根拠地であるトラック島へと向かった彼らを待ち構えていたのはアメリカ軍からの魚雷攻撃だった……。
ここでは、『あゝ野麦峠』で著名な作家の山本茂実氏が当時出征していた人々の生の声を記録した『松本連隊の最後』(角川新書)より一部を抜粋。トラック島への上陸を目指す輸送船「暁天丸」で起こった悲劇について紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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一瞬にして変った地獄絵図
魚雷攻撃をくった〈暁天丸〉では――
あすの午後は目指すトラック基地に到着するというので16日の夜は、ほとんど全員甲板に出て、受け持ち区域をきめ、見張りを続けていた。「12時過ぎたら、まず大じょうぶだろう」といわれていたが、その12時もどうやら異常なく過ぎて、やれやれと一部を残して床についた。
北野粂治中尉(松本市新町)は、ガソリン臭いむしぶろのような船室に入るのをためらって、12時を過ぎても警戒態勢のまま、すずしい甲板にそのままゴロ寝していた。南十字星が左舷に青く輝いていた。その時、ゴロ寝しているまわりをネズミが1匹、チョロチョロといったりきたりしている。
「うーん! これはエンギがいいゾ!」と一人でつぶやいた。ネズミがいるうちは、まず船は安全だろう、という希望的観測からである。それから、どのくらいうとうとしたかよく覚えてもいない。第一発の魚雷が三番船倉にグワン! ときて、まっかな火柱を吹き上げた瞬間に意識を失ってしまった。
あとから考えてみると、何かぼやっと夢をみているようで、お寺の山門を入ったり出たり、そのうちに本堂の前までたどりつく、これが死というものか、これなら楽なものだナ……と、そんなことをぼんやりと考えていたという。その時、第二発目の火柱が上がって、こんどは背中をどんとやられ、それで意識をとり戻した。この時はもう、あたりはふた目と見られない地獄絵図と化していた。魚雷は船の中央に当たったが、機関部をはずれたもようで、すぐ沈むことはないことはわかった。そのうちに兵隊がみつけにきた。