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 分隊長が生死不明なら、自分は「小銃士一番」、分隊長の指揮をとる責任がある。胸や傷の痛みも忘れて立ち上がった。しかし、上から落ちてきた荷物と下から吹き上げた石炭の中に埋まった戦死者、断末魔の悲鳴を上げている負傷者の間をぬって人をさがすことは無理だった。いくら呼んでも、騒音の中で届くはずもない。

 甲板で吹いた突撃ラッパをきいたのはその時である。

「二中隊、田中隊は船尾に集結せよ、田中隊は船尾に行け!……船は後10分で沈む、急げ!! 急げ!!」

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 気ちがいのように叫ぶ声を聞いたのもその時だった。

「出られるものだけ早く出ろ!!」

 甲板の上から叫んでいるが、この負傷者をいったいどうするつもりなのか? 市川上等兵は怒りがこみ上げてきた。「バカヤロー!」と叫びたい気持ちをこらえて気ちがいのようにあたりをさがし回った。しかし自分の分隊員はどこにも見当たらなかった。船が左舷に傾きだして、海水がどっと入ってくるのがよくわかった。

「この負傷者をおいてはおれは逃げられない。逃げたところで、助かる見込みはないものを死の間際にもがくのはよそう……」そう考えたら、急に気も楽になった。海に飛び下りたところで、おれは金づちで泳げるわけでもない。しかし甲板からは「何をぐずぐずしているんだ、早く上がれバカヤロー早く!! 船が沈むぞ!!」その声を聞いた時、市川上等兵は本能的に縄バシゴにしがみついていた。

 それからはただ夢中だった。甲板の上に出たら、木村准尉がかけよって来て「よく上がって来た!! よかった、よかった」と肩をたたいてくれた。船はもう3、40度も傾いて転覆寸前になっていた。

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 甲板につないであるダイハツ(上陸用舟艇)のロープを第三中隊長、林市雄大尉(伊那市東春近)が軍刀を抜いて切り落としたのも、この時だった。ダイハツは海面に落ちて浮いた。

生か死か人間最後のあがき

 そんなころ三番船倉にいた二中隊田中隊の依田盛男一等兵(北佐久郡浅科村八幡)も石炭粉の中にたたきつけられていた。

「これでおれもおしまいか!」と思い、「助けてくれ!」という声さえはじめはすぐには出なかった、しかしまもなく持ち前の楽天性と、何くそ! という負けずぎらいの根性を盛り返して、ついに荷物の下からはい出した。突撃ラッパをきいたのはこの時である。「こんなところで死んでたまるか」彼は必死になって暗がりを手さぐりでかき上がろうとした。しかし、縄バシゴは吹っとんでなかった。

 これまで輸送船団が魚雷攻撃を受けた経験を生かして、階段をやられても縄バシゴで上がる訓練をしてきたが、実際には爆風でむしり取られて用をなさないことが多かった。しかたがないから、荷物の上や倒れた柱を伝わって甲板へはい上がろうとするが、そこは人間で身動きもできずおまけにつかまるところもない、上にいるものの足につかまる結果は引きずり落とすことになった。どっと数人がまた船倉へ転落していく。文字どおり生か死か人間最後のあがきであった。