※こちらは公募企画「文春野球フレッシュオールスター2023」に届いた原稿のなかから出場権を獲得したコラムです。おもしろいと思ったら文末のHITボタンを押してください。
【出場者プロフィール】あいしゃん 横浜DeNAベイスターズ。
父の影響で物心ついた頃からの野球ファン。コラム等の執筆歴はないが、かつて放送されていたNHK『着信御礼! ケータイ大喜利』でのメジャーオオギリーガー歴あり。毎日俳句大賞佳作5句。野球例えで子供達に人生を教える塾講師。
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16年ほど前の話である。我が家のすぐご近所にその方は住んでいらした。そのお宅の窓には大きな野球のユニフォームが飾ってあって、そこにお住まいの方がどんな方なのかが外からも分かった。
大きな白と青のユニフォーム、そう、横浜ベイスターズである。家主はその年、横浜ベイスターズの4番三塁手としてスタメンで活躍していた村田修一選手であった。
なんて器が大きな人だろう……「漢」村田修一に出会った日
私は野球好きの父の影響で幼少の頃から野球が身近にある環境で、夏になると、昼は高校野球を観ながらスイカを食べ、夜はプロ野球を見ながら枝豆というのが定番であり、思春期は眠い目を擦りながら夜遅くのプロ野球ニュースを見るという生活だった。
しかしその後、就職、結婚、出産と忙しい日々を過ごす期間はプロ野球からも離れた生活をしていた。村田選手がプロとして活躍されご近所にお住まいだったのもちょうどその私の野球空白の時期であった。私にはその時小学校1年生になったばかりの娘がおり子育てに忙しい毎日だったので、大きなユニフォームがある窓を見ても、「村田さんという野球選手のお家」という認識でしかなく、どんな選手なのかという知識すらなかった。だから当時の私にとっては村田選手は、単なるご近所の村田さんであった。
そんなある日、娘を近所の公園に連れて行った。その公園は広いグラウンドや広場の他に色々な遊具や、中に入ってアスレチックのように遊べる2階建ての大きなログハウスもある比較的大きな公園で、その日も娘と同じ1年生の子供達がたくさん遊びに来ていた。私はログハウスの前で娘に縄跳びの跳び方を教え、そこへクラスメイトのヨシ君も加わって一緒に縄跳びをしていた。
しばらくすると辺りがざわつき始めた。子供達が口々に誰かの名前を囁き、そわそわし始めた。その真ん中にオーラを放ちながら歩いて来たのが村田修一さんである。村田さんはご自身の小さなよちよち歩きの息子さんを連れていらした。あまりのオーラになかなか皆近づけない様子だったが、村田さんがお子さんを遊ばせ始めると周りに集まり、さらにあちこちの家からお母さん達が手に色紙やペンを持って走ってきて、握手やサインを求めて取り巻いた。
一緒に遊んでいたヨシくんと娘も「大変だ。有名人だ。何かにサインしてもらわなきゃ。これでいいか」と自分の縄跳びやハンカチの「お名前欄」にサインをしてもらいに走った。私が慌てて「ちょっと。そこは自分の名前を書く欄だよ」と止めても無駄であった。でも村田さんは気前よく縄跳びとハンカチにサインしてくださった。二人はお名前欄に「村田修一」と書かれた縄跳びとハンカチを大切に握りしめて戻ってきた。
ひとしきり騒ぎが落ち着いて、村田さんとお子さんが今度はログハウスに遊びに入っていくと、クラスでも慌てん坊でお調子者で有名な男子が「みんな、村田の子供さんと遊ぼうぜ」と彼としては最大級に村田さんに敬意を払った、しかし間違った敬称でみんなを誘い、ログハウスに入って行った。この一連の騒ぎが可笑しくて、私は一人でお腹を抱えて笑ってしまったが、「なんて器が大きな人だろう」というのが最初の私の「漢」村田修一のイメージとなった。